VALE TUDO、TOPA TUDO
〜あつしさんのブラジル格闘滞在記 VOL.2 サンパウロ編〜
     井上 敦
valetopa2004@yahoo.co.jp

5.27 寒いブラジル
5.28 道場を探せ!
5.30 プリティーウーマン
5.31 初練習
6.1  レオとの遭遇
6.2  Drink Beer! Fuck Fear!
6.3  カズーシ・サクラバ
6.4  グレーシー一族最良の男
6.5  極真入門?
6.7  最強狂軍団
6.9  ムエタイ
6.10 休日の過ごし方
6.11 BLACK BELT GP
6.13 シコふんじゃった
6.16 RYAN GRACIE
6.18 sem Kimono
6.20 シコふんじゃった2
6.23 LUCIANO CASQU
6.24 愛と感動のトーナメント
6.26 PS.サンパウロ


戦う公認会計士バーリトゥーダー、井上敦ストライプル



5月27日 寒いブラジル

 27日午前7時。ようやくサンパウロ国際空港に到着。日本を出発したのが前日の夜7時であり、時差が12時間あるため、24時間のフライトである。本当につらい。
 空港からホテルまでは白タクに乗った。ローカルバスと地下鉄を使えば安いのだが、荷物が多くそんな気力と体力は長時間のフライトで奪われていた。値段は40ヘアル(1ヘアルは約40円)だ。普通に乗ると大体60から70ヘアルと旅行会社の人が言っていた。
 ホテルはリベルダージという東洋人街にあるオリエンタルプラザホテルというところだ。ストライプルの友人が過去に泊まっていて俺に推薦してくれたため、最初はとりあえずここにした。タクシーで大通りを通り、途中で小道に入った。景色はゴミが散乱していてとても汚く、人の感じもそんなよくない。「こんな道を走って大丈夫かよ」と一人で思っていると、途中からちらちら日本語が見えた。こんなスラムみたいなところにも日系人はいるんだと感心していると、窓の外には赤く大きな鳥居があった。すでに日本人街に入っていたのだった。
 部屋を見てからチェックインした。日本の安いビジネスホテルのツインの部屋を少し汚くした感じの部屋だ。一泊60ヘアル。一ヶ月だとディスカウントで1000ヘアル。2,3日様子を見てから滞在日数を決める旨を話した。ここのホテルにはインターネットルームがある。さっそく使ってみる。1時間3ヘアルだ。使ってみたが遅い!通常の3倍のスピードの遅さである。パソコンが悪いのか回線が悪いのかは分からないが、やっていていらいらしてしまった。
 午後からは道場探しである。めぼしをつけていたヴィトー.ベウフォートの道場の住所をガイドの地図で見るがどこにあるかまったく分からない。仕方がないので航空券を買ったアルファインテルという旅行代理店の支店に行ってみた。日本語が通じるためである。日系のスタッフに住所を見せると非常に親切に探してくれた。しかしなかなか見つからない。道場にまで電話してくれて、ようやく大体の場所がわかった。だが困ったことに今は生徒の受付はしていないとか言っているらしい。まあ一度直接訪れてみてみないとどうなるか分からない。だがここまでたどり着くのがまたまた大変そうである。夕方の4時過ぎになっていたので明日訪れることに変更した。
 何もしないのもしゃくなので、バルボーザの道場を見学することにした。バルボーザは天理大学に留学していたこともあり日本語が通じる。また非常に優秀な選手であるため、多くの日本人柔術家がここで練習してきた。残念ながらブラジリアン柔術専門のため、俺の練習場所の候補からは外れている。道場は地下鉄のSANTA CRUZというところにある。地下鉄はどこまで乗っても同一料金だ。一回乗るのは1.9ヘアル。10回乗れる券にすると17ヘアルと割引がある。この10回券は回数券ではなく、1枚で1回乗るごとに改札機に残りの回数が表示される。もらった住所を手掛かりに駅から歩くが、住所に載っていた番地は大学の敷地ないにあるため道場は見つけられない。大学の受付で尋ねると、バルボーザの道場は移転したと言って新しい道場を教えてくれた。さすがに新しい道場を見学する元気はなくなっていたため、これも明日にすることにした。ウェイトトレーニングのジムも早く探さなければいけない。今週中には決めて来週からは練習を開始しなくては。

 サンパウロ。商業都市であるためか、街はごちゃごちゃしているし人々にも余裕がないような感じだ。そしてとても寒いのである。トレーナー1枚あれば十分だと思っていたが、甘すぎた。寒いときは5度近くまで温度が下がるらしい。過去2回のブラジルはリオであったためそのギャップに戸惑う。水着で歩いている人もいないし、何箇所か言ったジューススタンドにアサイが置いてないし。リゾート地であるリオとは違うのは当たり前だが、リオのあの開放感が懐かしい気もする。だがこの街にもいろいろと面白いこともあろう。なにしろまだ初日なのだ。



5月28日 道場を探せ!

 
午後から昨日もらった住所を手掛かりにバルボーザの道場に行く。スポーツクラブの2回にあり、一回はウェイトだ。マシンは一通りあるが、フリーウェイトはベンチプレスとインクラインベンチプレスのセットだけだ。デッドリフトやスクワット用のラックはない。格闘技をやるためのウェイト設備としてはいま一つだ。

到着した時は、ちょうど練習が終わったところであった。バルボーザにいきなり他の道場のことを聞くのも失礼であるので、まずはバルボーザの道場のことを聞いた。なんと午後と夜は土日を含めて毎日練習がある。その他に月水金は夕方も練習がある。俺が見たときは黒帯もいたし、茶帯、紫帯も数人いて結構充実しているような感じだ。しかも今はブラジレイロ(ブラジル選手権)のため、主力選手はリオに行っているとのことだ。彼らが戻ってくればさらに充実する。メトロ(地下鉄)の駅からも近いし、柔術に専念するなら非常にいい道場であると思う。

バルボーザは日本語がぺらぺらと聞いていたがそんなことはなく、通訳に道場生の白帯がついた。だが彼もあまり日本語はできない。俺のブラジル会話集も使いながら会話をした。VALE TUDOと柔術と両方の練習をしたい旨を伝えると、マカコの道場を紹介してくれた。マカコの名前は聞いたことがあるがどんな人物かよく分からない。月曜日に通訳の白帯君が車で案内してくれるらしい。月曜12時にバルボーザ道場で待ち合わせをした。あまりに親切すぎる。ほんとに感謝だ。

去年俺が通ったデラヒーバの道場もそうなのだが、ここでも生徒が帰る時に皆と握手をする。ただの見学者である俺に対してもだ。女性の道場生(ブロンドで若くてきれい)にはハグされて頬にキスされた。うらやましいと思った人はブラジルに来るように。

次はヴィトー.ベウフォートの道場へ行く。APDMという軍隊のスポーツ学校みたいなところの中にあるらしい。ネットにのっていた住所と昨日旅行会社でいただいた地図を頼りに向かう。このADPMがある地区は日本のガイドに乗っていないし、空港で入手した観光用の地図にも載っていない。つまりどんな場所かまったく分からないのだ。

駅員に大体の場所を聞いて向かう。なんだか高級住宅地のような場所を通っていく。これなら安心だ。大通りまで出たので、バス停でバスを待っているおばさんにADPMの場所を聞く。おばさんに言われたように道を進むが消防署はあるが他にそれらしきものはない。道を歩く別の人に尋ねると、俺が今来た道の方向に歩き途中で曲がるという。なんなんだ、さっきのおばさんが教えてくれたのとは全く逆方向ではないか。消防署で尋ねても、さっきの人と同じ回答であったので、最初のおばさんが嘘をついたのだろう。分からないのなら分からないと言ってほしい。外国行くと見栄のためか、たまにこういう知ったかぶりをする人がいる。人間はったりも大切だが、なんだか使う場所を間違えている。

大通りから道を曲がったが、ADPMに向かうその道はファベイラであった。消防署の人に道を聞いた時に、ファベイラという単語を耳にしていたがその時は特に気にもしなかった。何しろ俺はポルトガル語が分からず、相手はポルトガル語を話しているのである。たまたま知っているような言葉が耳についたぐらいにしか思っていなかった。ファベイラとは貧民街のことである。ブラジル映画の「シティ.オブ.ゴッド」を見るとファベイラの怖さがよく分かる。まあ映画だから実際とは違うかもしれないのだが、ファベイラには近づくなと皆がいう以上、多少の脚色はあるとはいえその危険さは本当なのであろう。150メートル先にはADPMがある。ここまで来て引き返すわけには行かない。軍隊の学校がすぐそばだから、危険な目にはあわないだろう。大金ももってないし、やばくなったら有り金を出して逃がしてもらおうと考え、ADPMへ歩を進める。子供はそうでもないのだが、たまに俺を見ている大人の目が怖い。あのぎらついた目だ。

そうとう緊張しながらADPMへ着き、受付でHPのコピーを見せる。だが受付の回答は非常にも、今はヴイトーはここで練習していないし、クラスもないとのこと。たしかに、昨日の旅行会社の人が生徒の受付をしていないと言っていたから、覚悟はしていたがクラスがなくなっていたとは。格闘技通信でヴィトーの道場を紹介していた記事があったがあそこはどこなのだろうか。HPにもう一つアドレスが載っていたからそこなのだろうか。そこもまた場所が分かりづらいのだ。HP自体が古くて更新されていないのかもしれない。なかなかうまくいかないものだ。



5月30日 プリティウーマン


 
土曜日は飲み屋で知り合ったサンパウロ新聞の人と一緒に、相撲の練習を見学に行く。なんでもこっちから日本に行って相撲取りになった若旺という人が、3段目かなんかで優勝したらしい。その凱旋優勝パーティーがあるということで、取材を兼ねて行くとのことだ。 練習を見た後、食いきれないほどの量の料理を食べた。なんだか流れで次回は自分も練習に参加することになってしまった。次回は2週間後なのだが、基本から教えてくれるとのことなので、この際習っておこう。しかしブラジルで相撲を習うとは思わなかった。 日曜日は特にやることもないので、街をぶらつくことにした。こっちは基本的には店は日曜日は閉まっていることが多い。道衣とかを見に行きたいのだが、閉まっている可能性が強いので止めておいた。
 
ホテルから歩いて10分くらいのセー広場というところにあるカテドラル.メトロポリーナという大聖堂を見にいった。中には無料で入れる。膝まづいてお祈りをしている人もいて、厳かな雰囲気である。キリスト教徒でもない俺はこういうところに来るのはあまりないので、なんだか新鮮な感じだ。写真をとろうかと思ったが、そういう雰囲気でもないのでカメラを仕舞った。
 
この周りは昼間の2時くらいだというのに立ちんぼがいた。平日にこのあたりを通った時には気づかなかったのだが、日曜日は人通りも少なく目立つ。別に話をしたわけではないのだが、服装がこの寒いのに薄着だし、なんか一般の人とは違い変に派手な格好をしている。40過ぎたような人もいたけど、客付くのかな。まあ大きなお世話か。サンパウロ新聞の人によると、こっちでは夜の12時を過ぎて家に帰ると浮気をしてきたと言っているようなものらしい。なので、浮気をする場合は昼間にして、夜は家族と過ごすらしいのだ。本当かどうかは分からないが、ブラジルなら信じてしまえる話である。
 
その後はヘプブリカ広場の露天市に行く。何か欲しいものがあるわけではないのだが、ひやかし半分で歩く。バッタもんのナイキのウインドブレーカーがあったので、安かったら買おうと思い値段交渉にはいる。ポルトガル語がまだ分からないので会話集と筆談だ。会話ができないと、こういう場合はたいがいぼられる。相手の言い値は60ヘアル。これが本物なら60でもいいけど、どうせ偽物なのだからまあ20〜30といったところか。高いよと言うと55ヘアルに下げてきた。下げ幅が小さいなあと思い、高すぎると連呼するといきなり40ヘアルになった。こっちの言い値は聞かないのか。いま一つ値段の交渉方法が分からない。本当の相場も分からないまま、こっちから30を提示してしまった。相手がOKしたら買わないとまずい。相手はノン、ノンと言っているので、じゃあいらないと帰るふりをした。全く俺を引き留める様子はない。普通はここで35とか30を相手も提示するのではないのか。40は適正価格だったのか。結局、よく分からないまま露天市を後にした。
 
ホテルに戻るが部屋が異常に寒い。暖房も効いているのだかよく分からない。仕方がないので、持ってきていたキモノを羽織った。ちなみにキモノとは柔術衣のことであり、ブラジルではキモノと呼ばれている。日本でも道衣、衣(ギと読む)など様々な呼び方がある。ブラジルで初めてキモノを着るのが、道場ではなくホテルの部屋というのがなんともまぬけだ。



5月31日 初練習

 12時にバルボーザの道場の前で道場生と待ち合わせで、マカコの道場に行くことになった。ちなみに道場生の名前はマルコス.オザキという。たぶん日系の3世だろう。案の定、彼も他のブラジル人とおなじでブラジルタイムで20分の遅刻。ブラジルでは、ビジネスの場合は知らないが、一般の待ち合わせは皆よく遅れてくる。
 
車で道に迷ってしまい着いたのは2時前。この地域はメトロがまだ通っていないので、通うのは相当大変そうだ。俺が着いた時は、ちょうど柔術のクラスをやっていた。先生以外は全員白帯でこのクラスはレベルが低かった。
 
実はマカコの道場と書いていたが、本当はゴドイの道場であった。昔はゴドイとマカコが二人でやっていて、ゴドイ.マカコ柔術という名前でやっていたらしい。今はマカコはシュートボクセに移籍して、この前のプライド武士道で三崎選手と闘っていた。俺はバルボーザからゴドイと聞いていたのだが、ゴドイ.マカコという名前と勝手に勘違いしていた。こういうまぎらわしい名前はやめてもらいたい。昔歴史の授業で、メソポタミア文明はチグリス.ユーフラテス川周辺で発展したと習ったことを思い出す。実際はチグリス川とユーフラテス川は別の川なのに、あたかも一つのように記載されていて勘違いしていたのと全く同じ状況だ。ゴドイの道場は、柔術用のスペースがあり、その横にはウェイトの設備がある。その奥にはリングがあり、サンドバックが数本ある。
 
ゴドイ本人に会ったのだが、でかい。背は俺よりもないが、体の厚みが違う。バーリ.トゥードの練習は火曜と木曜の午前中だから明日また来いと言われた。なかなか練習できない。なお、ここの道場はブラジリアントップチームの連盟に加入したらしく、BTTの名前を道場名の最後につけていた。柔術は月から金までで、夕方のクラスはゴドイが教えて黒帯もたくさん来るらしい。あとボクシングも月から金までで、夕方と夜の2回のクラスがある。
 
マルコスと一緒にバルボーザの道場に戻る。ここで前回の滞在記の訂正をさせていただきたい。バルボーザの道場は土日含めて毎日と書いたが、誤りであることが分かった、土曜は一クラスだけで、日曜は完全に休み。クラスは曜日によって違うが一日大体4クラスはある。そのうちの一クラスをバルボーザが受け持つのだ。前回マルコスに聞いたのは誤りであった。彼は日本語が中途半端にしかできないので、それで間違えてしまったのだろう。
 
キモノを持ってきていたので、3時からのクラスに体験で出ることにした。ちなみにマルコスはウェイトをやっていてクラスには参加しなかった。どこの国にもこういう人はいるんだと、日本にいる大気を思い出した。先生はパウロという黒帯だ。ホイスにどことなく似た感じの顔つきだ。胸毛も凄い。体もしょぼい。体重は俺と同じぐらいか。生徒は青帯が2人とオレンジ帯と白帯と俺で計5人。レベルは低そうである。ところでオレンジ帯なんてものが存在したことを始めて知った。白帯と青帯との間の帯だとは思うが、一体何なのだろう。
 
練習はウォームアップから始まる。まずは道場をいろいろな走り方で走る。途中で手と足で体を支えて歩行したり(ワニ歩きのひっくり返したみたいなやつ)など、基礎体力をつけるような動きが多い。すでに体力の半分くらいを使ってしまった。続いてマット運動。エビと逆エビ以外はじめてやる動きであった。またここのマットが全然滑らないのである。慣れない動きであり、久しぶりということもあって、残りの体力も使ってしまった。ウォームアップだけで30分弱。
 
続いてテクニック。クロスガードからの十字固めと相手が潰してきた時の対処だ。特に目新しいことはないが道場生のレベルに合わせているのだろう。少人数だから可能なことなのだろうが、ここで素晴らしいと思ったのは、先生が生徒全員に技をかけてくれるのである。やられることでポイントが分かるため、技を覚えやすい。俺もかけられたが、腕の引き、膝の閉めなどの、細かい動きのプレッシャーが全然ちがう。こんな基本的な技でもパウロと俺との間には相当の差がある。
 
次はスパーリング。立ち技からだ。青帯とやらされた。時間は適当にパウロが止めというまで。だいたい10分くらいやった。久しぶりにしては良く動けた。次はパウロと。引き込んできたので、片足を跨ごうとしたのだが、足の力が強く跨ぐことができない。そのままバランスを崩され。バックマウントを取られる。絞めは逃げたが上四方から腕がらみを狙われる。必死でブリッジを繰り返し、これも逃げる。とにかく防戦一方だ。何度かポジションを奪われ、最後はニーインザベリーで屈辱のタップ。知らない人のために説明をすると、これは片膝を相手の腹にあてて押さえ込む押さえ込みの方法で別にギブアップを取る技ではない。だがあまりの苦しさとアバラが折れそうな感じがしたので、タップしてしまった。少し休んで、またパウロと。今回は俺が引き込み三角絞めの形になった。たぶんわざと取らせてくれたのだろう。だが結構いい形で入ったし、三角絞めは俺の得意技なのだ。余裕を見せたことを後悔させてやるぜと思いながら、絞め続けたが結局逃げられてしまい、最後はオモプラータで極められてしまった。なんで三角絞めが極まらなかったか聞いたのだが、次回のレッスンで教えると言われてしまった。俺にここでの次回はあるのか分からないのだが。


 こんな強いやつが普通にいると思うと本当にうれしい。日本の黒帯の中井さんや早川君とはまた違うタイプの強さだ。しかもまだごろごろこんなレベルはいるのだろうから、ブラジルは恐ろしい。



6月1日 レオとの遭遇

 10時30分からゴドイの道場で練習。行き方が分からないのでタクシーで行く。約30ヘアルだ。こっちのタクシーは、初乗りは3.2ヘアルと安いのだが30メートルも走ったら既にメーターが上がっている。時間に余裕を見たため20分も早くついてしまった。当然のように誰も来ていない。それでも練習開始時間には7,8人来ており最終的には12,3人になっていた。

 練習生の8割は俺よりでかい。残りは俺と同じか少し軽いくらい。練習はまずウォームアップで柔術の道場の中を5分くらい走る。その後は2人組になり、レスリングの差し合い、首相撲での首の取り合い、両足タックルの打ち込み、バックを取られてからのスイッチを相手を代えながらやる。続いてレスリング上がりみたいな練習生が技を教えてくれて、それの打ち込みをやる。今回は四つからの崩しを習った。

 次は打撃なしでサブミッションレスリングのスパーリング。立ち技からやる。時間は1ラウンド5分で2ラウンドだ。一本目は俺より小さい相手だったので問題なくできた。二本目の相手は先ほどレスリングを教えてくれた人だ。彼は背が190ぐらいあり、マッチョで体重も100キロぐらいありそうだ。柔術的な寝技はそんなに上手くなかったが、ハーフガードからもぐりにいったら、上から強引な怪力フロントチョークというかフロントネックロックでやられてしまった。レスラーに首をとられたら終わりだ。スパーが終わったら、すぐにボクシングのみのシャドーを3分。皆お世辞にもフォームは上手くない。我流でやっている感じだ。

 続いてリングのあるスペースに移動。グローブとすね当てをつける。みなバンテージを巻きだし、選手によってはワセリンを塗っている。そんな本気のスパーをやるのかと気を引き締める。リングは狭いため、一組しかできない。ゴドイに指名された選手が元立ちで1ラウンド2分のスパーリングをまわす方式だ。このスパーは変わっていて、一人は打撃で攻め、もう一人は打撃禁止でテイクダウンを奪うというもの。圧倒的に打撃側が有利なスパーである。これによって打撃禁止側はディフェンスを覚えるという趣旨なのだろう。驚いたのは打撃側は100%に近いガチンコモードだ。見ていてとても危なっかしい。俺も参加したが運よく打撃側であった。相手は疲れているしガードも下手だったので、結構軽めに攻めていたら、もっとハードにやれと周りが言ってくる。相手は100キロ近い奴だし、自分も打撃禁止側になったらどうせやられるのだろうから、今のうちに殴っておくことにした。結構本気でたくさん入れてしまった。普段はここまで攻撃することはないので、非常に気持ちいい。相手の攻撃がないとめちゃくちゃ楽だ。結局元立ちは3人だけで終わった。今回は打撃側で助かった。

 続いては、リングで一組だけでグラウンドでのパウンドありのスパーだ。元立ちがクロスガードをとる。これも2分でまわす。上のポジションの人間はパウンドはするが、パスガードを狙うようなそぶりはあまりない。あまりテクニカルな印象はない。これは元立ちは一人だけであった。この最中に続々と練習生が帰っていく。もう終わりに近づいているのだろう。

 寝技が終わると、再び柔術場へ移動。打撃のシャドーをやりながら、ゴドイの掛け声にあわせて、タックルの動作およびタックル切りの動作をする。3分くらい。これで練習は終わりだ。

 元立ちになると相当きついが、そうでない場合は結構楽な練習だ。元立ちをやらないと圧倒的にスパーの本数が不足してしまう。柔術場が広いのであるから、そこで何組か同時に打撃の練習をすればもっと効率がいいのにと思った。あと思ったのはみな打撃は上手くはない。ただし勢いがある。試合になると、勢いだけでいけてしまうこともあるので、それが悪いかどうかはわからない。

 交通の便が悪いのでどうするかはまだ分からないが、ゴドイ自身もいい人だし練習生も英語ができる人が世話をしてくれて、悪い印象はない。ここの柔術クラスも結構強いらしく、壁に張ってあったサンパウロの柔術大会(規模は分からないが)のアカデミーごとの入賞者数の張り紙をみると、ゴドイ柔術クラブが上位をほとんど独占していた。今度キモノを着た練習にも参加してみたいものだ。

 

たぶん近くであろうと思いインターネットで見たヴィトー.ベウフォートのもう一つのジムに行くことにした。モルンビ.ショッピングセンターの近くと聞いていたので、まずはそこまでタクシーで行き昼食をとる。その後歩いて探すのも面倒なので、タクシーで住所を見せて連れて行ってもらった。

住所の場所は、異常に馬鹿でかいテニスセンター兼スポーツクラブみたいなところであった。受付でベウフォートのジムを見学したい旨を伝えると、離れにある建物に連れて行ってくれた。そこの一回には金網が散乱していた。どうやら組み立て式のオクタゴンのようだ。格闘技通信で見たオクタゴンはこれに違いない。ブラジル6日目にしてようやく念願の道場にたどり着けた。

2階に行くとちょうど柔術の練習をやっていた。クラスは終わったらしいが、居残り練習の2組ぐらいがごろごろやっている。6,7人の選手はキモノを脱いでTシャツ姿だ。その中にジャカレイという有名な柔術選手がいた。そしてそのうちの一人が、しゃがれた声の英語で俺に練習時間などいろいろ説明してくれた。

そのしゃがれた声の選手の名前はレオナルド.ヴィエイラ。通称レオジーニョという天才柔術家だ。日本でも何度か試合をしている。以前に柔術は観る競技ではなくやる競技であると書いた。しかしレオの試合だけは見ていても本当に面白い。柔術をやっていなくてもだ。プライドでのつまらない膠着の多い試合を見るのであれば、レオの試合を見てほしい。側転パスガードを最初に使ったのも彼である。しかも無駄に派手に動くのではなく、すべてが試合に勝つことに直結しているのである。

だが俺はレオのことを全くレオジーニョ本人と気づかなかった。まったく強そうなオーラがなかったのだ。しかも失礼なことにジャカレイを指差して、「あいつは日本に来たので知っている」とか言ってしまった。そしたらレオも「俺も日本に行ったことがある。GIでユーキ.ナカイやハヤカワと闘った」と返答してきた。そこで初めてそういえばレオジーニョはこんな顔していたと思い出し、「レオジーニョ?」とびっくりして聞き返してしまった。レオは笑いながら、「YESYES」と言っている。本当に申し訳ない気持ちになってしまった。一応謝りまくっておいた。たぶん許してくれているとは思うが。それにしても、俺は柔術家を知らなすぎる。レオにいたっては日本でも生で試合を見ているし、DVDでも試合を見ているというのに。恥ずかしい限りだし、失礼な態度を取ってしまった。去年はパイシャオンにも気づかなかった。柔術をやっていない人は分からないと思うが、レオジーニョもパイシャオンも柔術の世界チャンピオンになった有名選手である。

レオの話によると、ベウフォートもここでMMAの練習をやっていて、レオの主催するマスター柔術もここで柔術の練習をしているとのことだ。両方のクラスに出ても大丈夫だと言っていた。レオが道場のシステムのことはマネージャーに聞いてくれと言って、マネージャーの所に通された。このマネージャーが、色白の小太りで、口とあごに髭をはやしていて、いかにもインチキマネージャーみたいな顔つきをしていた。彼に値段を聞いたら1ヶ月USドルで200ドルを要求してきた。ありえない値段だ。通常の柔術道場はだいたい100ヘアル前後。金を取るというホイラーのところでも確か150ドル。そこよりも高いし、だいたいUSドルで払えというのがおかしい。高すぎると言っても、ベウフォート.トレーニング.センターのシステムで決まっていて、君だけ値下げをするわけにはいかないなどと言っている。また彼が言うには、柔術、MMAのほかにもムエタイ、ボクシングのクラスにも参加でき、ウェイトトレーニングの設備も全部使えるからそんなに高くないということだ。だがそれでも100ドルがいいところだろう。一応クラスの時間割をもらおうとしたら、今は紙をきらしていてないといって、口頭で時間割の説明を受けた。実はここに罠があったのだ。

少し考えてから決めると返事をしたあと、ウェイトトレーニングの設備を見学した。そしたらそこのトレーナーが、いくら要求されたと俺に聞いてきた。USドルで200だと返答すると、ちょっと待ってろと言い、彼はクラスの時間割表を持ってきてくれた。マネージャーは切らしていてないと言っていた時間割表である。それに料金表が付いていた。それによれば、マネージャーが俺に言ってきた全部に参加できるコースは419ヘアル。USドル換算で140ドルくらい。やはり、ぼっている。しかもウェイトを外したり、柔術とMMAだけとかコースの選択も自由で、値段も選んだコースによって変わるのだ。ちなみに柔術とMMAだけのコースは189ヘアル。まあ他の道場よりは高い感じだが、マネージャーの提案に比べたら全然安い。きっとこいつは差額を自分の懐に入れているのだろう。汚い野郎だ。それを知っている従業員が親切で教えてくれたのだろう。

ここまでコケにされたら、いくらベウフォートの道場がいい道場であっても練習する気にはなれない。選手は悪くないかもしれないが、こういうマネージャーがいるだけで信用が全くできなくなってしまう。レオは非常にナイスガイであったのに、この悪役マネージャーのおかげで台無しである。俺も怒りで一杯だ。同時に練習場所を失った悲しさもある。サンパウロではバーリトゥードの練習はあきらめて、ブラジリアン柔術の練習に専念したほうがいいかもしれない。早めにリオに行くという選択肢も出てきた。



6月2日 Drink Beer! Fuck Fear!

サンパウロ新聞の記者の方に連れられて、俺の大学のブラジルでのOB会の会長に会いに行った。その辺の話は省略するが、会長の息子さんと俺とサンパウロ新聞の記者の人で昼飯に行き、昼間からカイピリーニャ(こっちのピンガという40度以上の酒のカクテル。かなりきつい。)やビールを飲んでしまった。夜の練習は無理だとあきらめた。

 夜も酒が抜けていないので、ホテルの裏の金太郎という立ち飲みの居酒屋に一人で行く。ここはかなり安くつまみもうまいし、実は今回はここで知り合ったこっちの人に、かなりお世話になっている。

 そこのマスターも格闘技好きで、俺が前に来た時に、今度友達で柔術やっているのがいるから紹介すると言ってくれていた。俺が一人でビールを飲んでいると、マスターが、友達が今から練習に行くから道場に俺を連れて行ってくれる、と言って来た。昼間の酒も抜けてないし、ビールも飲んでしまったので、また次回ということで断った。しかしなんだか話が上手く通じずに、見学だけでもということで道場を見にいくことになった。酒飲んで道場見学とは不謹慎なことこの上ない。

 マスターの友達はチアゴという。年もまだ若い。ちなみにマスターとは大学の友達だ。マスターもまだ若いのである。

 チアゴの道場は、ハイアン.グレイシーの弟子がやっている道場でリベルダージからは車で10分ぐらいのところだ。チアゴは既にキモノのズボンを履いていて臨戦態勢だ。途中でチアゴの妹を迎えに行った。妹も柔術家だ。またこの妹が半端なくかわいいのだ。妹はまだ柔術を始めて半年ぐらいで、白帯とのことである。だが別の黒帯なら今すぐ巻けるぐらいのレベルだ。

 道場に到着。道場は結構広い。柔術上の隣のフロアではムエタイをやっていた。だがムエタイと呼べる代物ではない。日本のスポーツクラブのフィットネスキック以下のレベルである。あれで金を取っていいのだろうか。柔術は道場生の数は多いが、白帯の人数が多い。先生以外は黒帯もいない。茶帯もなし。紫が男と女2人ずつ。青帯も数人で残りが白帯。緑帯とかわけ分からない帯をつけている人もいた。練習はまずこの道場を端から端までダッシュすることから始まる。続いて皆が散らばり、先生の掛け声に合わせて立ったり座ったり腹筋をしたりする。この先生の掛け声が異常なまでにテンションが高くかなり笑えた。しかもどの掛け声も俺には同じに聞こえてしまう。そのうえ先生は道場内を走りまわりながら、掛け声をしているのである。意味不明だ。続いて二人一組でテイクダウンの打ち込み。ここでも先生が皆に気合を入れている。その後は二人組みで飛びつきクロスガードの打ち込み。あいかわらず先生のテンションは高い。

 アップが終わり、テクニックを先生が教える。立ち技からの引き込みながらのスイープをやっている。俺も技を見に皆の輪に入りにいった。先生は、また異常なテンションの高さで、お前もやれとか言ってきた。準備も何もしてないし酔っ払っているんだが、お構いなしだ。キモノを無理やり貸してくれた。ここまでされたらやらないわけにはいかない。サイズが合わなくしかも匂いのきついキモノを着て、練習に参加することになってしまった。両足担ぎのパスガードのバリエーションを3種類くらいやったが、特に目新しいテクニックはなかった。だが打ち込みで相当気持ち悪くなった。

 続いてスパーリング。やりたくなかったがチアゴがやろうと言ってきたので、仕方なくやることにした。チアゴは体重はたぶん70キロぐらいで俺よりは軽い。帯も青帯だ。だがスパーしたら強い。特にクロスの締め付けが強くなかなか割れない。なし崩し的にスイープされてしまった。気持ち悪さが限界を超えていたため、かなり力を使い強引に三角絞めを極めてスパーを終わらせた。なんかここの道場は特に時間を決めていなく、お互いがやめようと言うと辞めるらしい。ちょっと休んでまたチアゴと。今度は1分ぐらいでパスしたが、パスした瞬間に辞めようと向こうから言ってきた。今の俺にはちょうどいい。紫帯とスパーをしたが、今度はパスされてしまった。そうしたら向こうからもう辞めないかと言ってきた。当然のように俺はその要求を呑んだ。体調が良かったらちょっと物足りないかもしれない。

 酒を飲んで練習すると言う最低なことをしてしまった。日本でも二日酔いで酒臭いといわれて練習したことはあるが、飲んだ直後の練習は始めてだ。全くブラジルまで来て何をやっているのだろう、俺は。

 チアゴは非常にいい奴で帰りも車で俺をホテルまで送ってくれた。帰り道に、アサイの旨い店があるといって連れて行ってくれた。しかもおごってくれた。ちなみにサンパウロで今まで飲んだアサイは、リオよりも味が薄くあまり旨いものではなかった。だがここのアサイはリオと同じ濃さでかなり旨かった。チアゴは明日も迎えにきてくれるらしい。携帯の番号も教えてくれて、何か困ったことがあったら電話しろと言ってくれた。ここまで親切にされるなんて思ってもいなかった。ブラジルは危険な面もあるかもしれない。だが中にはこういういい奴もたくさんいるのだ。



6月3日 カズーシ・サクラバ

 今日も昨日と同じ道場にチアゴに連れて行ってもらう。昨日と違い、白帯は少なく色帯が多少増えた。なんでも今週末に白帯の大会があるらしく、昨日は白帯の試合用の練習だったとのことだ。

 練習は道場の周りをランニングから始まった。その後はすぐにテクニック。ハーフガードをパスガードする方法を二種類と、相手がそのパスガードをしてきた時の逃げ方、サイドポジションからの逃げ方を習った。昨日と違い、結構実戦的なテクニックであり、また細かいポイントをしっかり教えてくれていて、かなり良かった。今までの道場はたいていテクニックは1つか2つだったが、今回は4種類と多い。テクニックの打ち込みだけで30分ぐらいやっていた。その後はスパーリング。今回は先生が相手をしてくれた。俺が来る時は、毎回相手をしてくれるという。テンションの高さにはついていけないが、非常にいい先生だ。サンパウロいる間はここにしようかと思う。あとは値段との相談だ。

 ホテルに戻ったのは11時半過ぎ。駅前のバールという軽食屋に行く。通常のバールはブラジルの食事が多いのだが、そこは日本食が食べれる。俺が飯を食べていると、横に座っていた巨大なあんちゃんが俺の方を見て何か話しかけてくる。しかしポルトガル語のためほとんど分からない。彼はそれでもお構いなしに話してきて、自分の飲んでいる日本酒を俺にも勧めてきた。ジャポン、ジャポンとか言っているから日本に好意的であることだけは確かだ。彼もムエタイをやっているといい、プライドはよく見ているようなことを言っていた。二人でしこたま日本酒を飲んだ後、彼がカラオケ、カラオケと叫んで、俺を車でカラオケパブまで拉致して行った。飲酒運転なんてお構いなしだ。

 こっちのカラオケは一人につき女の子が一人つくとか言っていたが、俺が言ったところはそういうのではなかった。日系2世の日本語が分かるマスターとブラジル人の店員が3人。その内の2人が女性だ。ここで出されたビールの飲み方が面白い。缶ビールを逆さにして、裏一面に塩をまぶす。そしてライムを搾り、飲み口の穴を開けて飲むのだ。飲む時に塩がこぼれて飲みづらいが、なかなかいける。

 ここの店員はそうとう舐めていて、客がいるのもお構いなく男の店員と女の店員でブチュブチュいちゃついているのである。しかも自分らでデュエットを歌っているし。

 巨大なムエタイあんちゃんも相当変な奴で、マイクを持つと、プライドのリングアナの真似をして「カズーシ.サクラバ」「ヴァンダレーイ.シウバ」とかコールを始めだした。彼はこれがやりたくてカラオケに来たのだろうか。



6月4日 グレイシー一族最良の男

 ホシアン.グレイシー(ROCIAN GRACIE)という人の道場がサンパウロにあるので、体験入門をしにいく。ホシアンなどというグレイシーは初めて聞いた。いったいグレイシー一族は何人いるんだろうか。

 場所はメトロのPraca da Arvore駅のすぐ近く。交通の便は相当いい。道場に到着し受付けで練習したい旨を伝えると、受付が「EnglishOK?」と聞いてホシアンを呼んできてくれた。でかい。背はないが横幅は結構ある。ホシアンは英語がぺらぺらだ。今日一日練習したい旨を伝えると快く、OKと言ってくれた。値段はいくらだと聞いたら、そんなものはいらないよと言われた。グレイシー相手にこれは奇跡に近いことだ。別にグレイシーでなくても、出稽古料を取るのは道場としての正当な権利だと思うし、値段が不当でなければ俺も払う気は十分あった。グレイシーの場合は当然のように出稽古料を請求してくるだろうと思っていただけに、ホシアンがとてもいい奴に見えてきた。実際も非常にいい奴であった。

 ホシアンに日本での先生は誰だと聞かれたので、タイラだと答えた。そしたら「ナオユキ.タイラだろ。知っているよ。7年位前に、彼が白帯で俺が茶帯の頃に、サンフランシスコのカーリー.グレイシーのところで一緒に練習したよ。」と言ってきた。これには驚いた。平さんと一緒に練習していた人にこんな場所で会えるなんて。余計にホシアンに親しみを持てた。

道場は一階と地下一階がある。今日の練習は地下一階で行われる。なお一階の壁にはホシアンの道場のマークが描かれていたが、そのマークにホシアン自身の似顔絵が使われていた。ホシアンには悪いが、相当かっこ悪いマークである。とてもこのマークの入ったキモノを着る気にはなれない。

練習はランニングから始まる。俺と白帯の二人だけであった。ホシアンが言うには。週末に白帯の大会があるのとサブミッションの大会があるので、今日は自由練習みたいな形で生徒は少ないと言っていた。そのあとは、エビで道場を移動。二人組みで下からの十字固めの打ち込みとオモプラータの打ち込みを10回ずつ。徐々に道場生も増えてきた。

テクニックはなくスパーリング。白帯とやったが、結構強い。次は紫帯。また別の白帯二人と。驚くべきことに、ここの白帯は皆非常に強い。今までは日本では青帯になかなかなれないので、白帯のレベルだけでみたら日本の方がブラジルより強いと思っていた。だがここの白帯は技も正確だし、力も強く、日本での青帯レベルの強さはあるように感じた。

次はホシアン自ら俺とやってくれた。重い。パスガードされて横四方で押さえ込まれたがそれだけでもタップしそうになった。重いだけでなく、技も上手く相当強い。スパーの最中でいろいろと細かい動きを指導してくれた。マウントポジションからの逃げ方を習ったが、手の位置とか一つ一つ細かく意味づけがされていて感心した。自分ももっと考えてやらなければならない。ホシアンともう一本やって、最後に青帯とやって終了。スパーは合計7本と結構充実した練習だった。

練習代も無料だったし、お土産のTシャツでも買おうと思った。もちろんあのかっこ悪いマーク入りのTシャツである。だが残念ながら、まともなデザインのTシャツしか売っていなかった。本当に残念である。




6月5日 極真入門?

 とにかく見せ掛けだけでも筋肉をつけて体重を増やしたかったため、ウェイトトレーニングのためのジムを必死で探していた。何箇所か回ったがどこもいま一つの感じだ。日本でゴールドジムという最高の環境でやっていたため、どれも見劣りしてしまう。フリーウェイトに関していうと、どこのジムでも上半身を鍛えるベンチプレスとインクラインベンチの台はあるのだが、下半身を鍛えるスクワット用のラックがないのである。こうなったら多少の差はあるが、ある程度の設備があればいいと思い、ホテルからの近さと値段でジムを決めることにした。

 俺が決めたのは極真空手の道場内にあるウェイトのジム。フランシスコ.フィリョを生み出した磯部師範のところである。極真はサンジョアキンというメトロの駅のすぐ近くにあり、ホテルから徒歩5分くらの場所だ。ビルの2階と3階にあり、2階がウェイト、3階が空手のスペースとなっている。ウェイトだけの会員だと一ヶ月50ヘアルと安い。こっちでは大抵の柔術や空手の道場は、ウェイトのジムの中にあったり、ウェイトの設備を併用している。

 正直にいうと、極真のウェイトの設備もいまいちである。特に上半身を鍛えるマシンは3種類しかない。だがフィリョもグラウベもここで鍛えてきたことを考えると、いい設備とかはあまり関係ないのだろう。基本的なバーベルとダンベルは揃っているわけだし、後は本人のやり方次第だ。たまにバーベルのストッパーが外れて、バーベルが床に落ちそうになるのは非常に怖いが。

 今日は午後から時間割には載っていない選手クラスがあるようで、空手衣を着た強そうな人たちが3階の道場に数多く上がっていった。練習を見学したかったのだが、磯部師範の娘さんに断られてしまった。普通の練習は見学は可能なのだが、特別クラスは見学が許されないのだ。特別クラスだからこそ、こちらは見たいというのに。いったいどんな練習をしているのだろうか。テレビでフィリョがやっているのを見たが、移動式サンドバックをやはり蹴るのだろうか。非常に興味深い。それを知るには極真空手に入門しなければならないが、さすがに止めておくことにした。どなたか代わりに入門していただけないだろうか。


6月7日 最狂軍団入り

 出稽古だけで過ごすのも大変なので、チアゴと同じアカデミーに決めた。ACADEMIA ESPACO DO CORPOというところだ。ここはハイアン.グレイシーの支部にあたるようだ。日本でのハイアンの試合を見ていると、あまりテクニカルな印象はない。だが、ここで教えてるハイアンの弟子(たぶんそう思うだけで確信はないが。ハイアンの名前だけ利用している可能性も否定はできない。)の黒帯の先生とかを見ていると、ハイアンも相当なテクニシャンであることが予想される。ここのアカデミーでは午前、午後、夜と3人の先生が教えている。俺が過去2回習った、異常にテンションの高い先生の名前はカスキンヤという。

 道場の月謝は90ヘアルとまあ普通の値段だ。ムエタイやボクシングを習うとプラス60かかる。俺はたぶん一ヶ月いないだろうから、その期間に合わせて値段を下げてもらうことにした。ウエイトは一月65ヘアルと極真よりは若干高い。しかし設備は極真よりも全然いい。とにかくきれいだし、マシンの充実ぶりは日本の一般のスポーツクラブ並だ。だがここにもスクワットラックはなかった。

 5時半からの練習に参加。練習前にカスキンヤが背中のローイング系のウェイトをやっていたが、やりかたが面白い。マシンのバーにキモノを巻きつけ、キモノを握りながら引き付ける動作をしているのである。背中を鍛えるのと同時に、柔術で必要とされる握力を鍛えているのだろう。自分も今度取り入れてみたいが、日本でキモノを持ってウェイトをやるのはかなり恥ずかしい。

 例によってランニングからスタート。次は二人組みで立ち技での組み手の練習。ここでカスキンヤは日系3世の男をわざわざ俺と組ませた。カスキンヤなりには気を使ってくれたのだろうが、その3世は日本語はおろか英語も全くできないのだ。続いては背負い投げの打ち込み。これはきつい。柔道をやったことのある人なら分かると思うが、背負い投げは基本的に自分より背の高い相手にやる技である。自分の腰が相手の腰の下に来なければならないからだ。自分より小さい人にかけるときは、相当低くしゃがみこまなければならないため、かなりきついし難しい。俺は自分より背の高い相手とやることはあまりないので、背負い投げなど使う気は全くないし、また自分の技として身に着けるのも相当難しいだろう。あまりやる気はないのだが、決められた練習なのでいやいやながらもやることにした。またこの3世が背が170ないくらいで、キモノも試合では絶対使えないような縮みまくりでキツキツのものなのである。この打ち込みが15分くらい続き、本当に苦痛であった。続いて寝技のテクニック。ハーフで上の人間がバックを取り絞めるテクニックだ。なかなかいい技であった。

 スパーリング。今回は時間が7分と指定され、カスキンヤの指名する相手と立ち技から試合形式で行う。3人の紫帯とやった。一人は俺より小さいが、後の2人はでかい。こういう形式だと燃えてくる。前半からかなり力を使って、勝負することにした。こっちに来ていつも思うのだが、ブラジル人は最初はものすごいパワーで攻めてくる。その代わり息が上がるのも早い。(あくまで俺の相手をしてくれるレベルのことで、黒帯とかは違うとは思うが。)だから最初の攻めにびっくりしないでしのげば何とかなるケースが多い。その怒涛のラッシュを防ぐために、俺も力で対抗しようという作戦だ。もちろん同じペースで力を使えば、こっちもばててしまうので、そのへんは上手くやらなければならない。上手く力を使えたのか、今回はでかい奴ともそこそこいい勝負ができた。だが自分が下になればいいのだが、上を取ったときの攻撃も防御が全然だめだ。その辺が課題だ。スパー後はまたランニング。その途中で一番前の人間が最後尾までダッシュする。カスキンヤの「ボンッ!」という声に合わせてだ。相変わらずのハイテンションで走りながら笑ってしまった。

 今度は午前の部や午後の部にも出てみよう。ここに入門するということは、俺もハイアンの弟子になってしまうのだろうか。なんか敵が多そうでそれが心配だ。別の道場に行ったらハイアン系列の道場にいたことは隠した方がいいかもしれない。


6月9日 ムエタイ

 レベルは低いがムエタイのクラスに出ることにした。ある程度立ち技をやっとかないと勘がにぶるだろうし、対人練習ができれば自分一人でやるよりはましであろうと思い参加することにした。

クラスは月、水、金の夜9時から10時半まで。その前の8時45分までの柔術クラスに参加していたら、スパーが長引いて9時5分頃から参加することになった。だがなぜかムエタイクラスは8時50分に開始されていた。ブラジルでは時間が遅れることは当たり前のようにあるのだが、早く始まるなんてまずありえない。逆ブラジルタイムとでもいうのだろうか。不思議だ。

先生はエドワルドという人だ。柔術もやっているし、バーリトゥードもやっている。こないだサンパウロでのバーリトゥードの大会で優勝したらしい。日本にも来てパンクラスのリングで菊田選手に負けたとか言っていた。見た目はかなりごつい。話すと陽気な奴で、俺が日本人であることを言うと、ロッポンギー、ロッポンギーと連呼していた。六本木で相当いい思いをしたのだろう。嘘でもいいから、日本で試合に負けたことをもっと悔しがってくれ。

俺が参加したときは準備体操やアップは終わっていて、パンチのシャドーからだ。続いて二人組みになり、ワンツーからのローキックの打ち込み。これを左右構えを変えてからやる。右のローキックをやる時は、右の手を引き手として使い、右手を振るのが通常のやり方だ。俺がそのやり方でやるとエドワルドは両手を最初の構えのままで手を動かすなと言って来た。非常に蹴りづらい。これも一つのフォームなのだろうが、無視して自分の蹴り方で蹴っていた。2,3回注意を受けたが、それでも無視していたら、何も言われなくなった。

続いては2分半ごとに、それぞれが別のことをやるトレーニングになった。サンドバック大、サンドバック小、パンチングマシーン、ダンベルを持ってのシャドー、通常のシャドー、キックミット、別の人が持つキックミットというトレーニングを持ち回りで行う方式だ。やっている最中は技術的な指導は一切ない。それぞれ好き勝手なフォームでめちゃくちゃにやっている。エドワルドは練習生が少しでも休むとすぐに煽り連打させるので、スタミナをつけるにはいい練習だ。しかし技術は永久に身につかないだろう。

キックミットを持ってくれた練習生は相当狂っていた。煽ってくれるのはいいのだが、あまりにも声がでかく、テンションも薬をやっているんじゃないかと思わんばかりの高さだ。「Come on!!Monkey!!Come on!!!Monkey!!!」とミットやっている間ずっと叫んでいるのである。あまりの声のでかさに、一階のウェイトのジムの会員たちも何事かという感じでのぞきに来ていた。練習を見ていたカスキンヤも、ずっとこいつを見て笑っていて、俺と目が会うと、こいつは狂っているみたいなゼスチャーをしていた。カスキンヤ、あなたもそう大差はないと思うけど。

最後は腹筋、首の運動をやり練習は終了。10時10分くらいに終わった。最後に一人一人と握手。狂っている男はもの凄い力で握手してきて、肩を叩くのも水平チョップばりの力で叩いてきた。やはりハイアンの軍団だけのことはある。


6月10日 休日の過ごし方

 今日はブラジルでは祭日にあたるらしい。そのため道場も休み。極真のジムも休みである。こっちに来てから、土、日や休日は多くの店が閉まっており、かなり暇である。観光とかすればいいのだろうが、もともと観光はあまり好きではないし、天気も悪いし、特に一人だとあまり出かける気もしない。またサンパウロは商業都市で特に観光するような場所もあまりないのだ。

しょうがないので、ホテルのインターネットルームでインターネットをやった後、日本食のレストランに行く。ここは日本の漫画が結構たくさん置いているので、漫画喫茶代わりに何回か利用している。ブラジル来ても、日本とやっていることはあまり代わらない。ちなみに食べた日本食はカツカレーで16ヘアル。味はまあ普通に食べれる。ここで昼飯に4時間くらい使ってしまった。

昼飯の後、日本で何回か練習したことがあるイズマエルがリオに来ているとのことで、連絡をしてみる。イズマエルは日系ブラジル人で日本語ポルトガル語両方できるので、心強い。彼のお兄さんはK-1にもでたファビアーノ選手で、イズマエル自身もそのうちK-1 MMAでデビューするであろう逸材だ。

イズマエルに連絡するのも一苦労だった。電話をして受付であろう人間に「AOKI ISMAEL  POR FAVOR」と言うのだが、全く取り次いでくれない。2、3回かけても状況は同じだったので、俺のホテルの受付の日本語の分かる人に通訳を頼んで、ようやく取り次いでもらった。どうやら、最初に自分の名前を名乗り、それから相手の名前を言って取り次いでもらうとのことのようだ。電話一つでこんなに苦労するとは思わなかった。

イズマエルは今ブラジリアントップチームで練習している。だがMMAのクラスには今は参加せず、BTTで柔術とレスリングとキックボクシングの練習をしているらしい。なんでもMMAのクラスは、所属道場の問題等があり最初はなかなか練習させてもらえないらしい。確かにプライドやK-1に出るようなレベルの選手だったら、そういう問題は起きるかもしれない。だが俺のような選手なら練習しても問題はないように思える。もっともMMAの練習についていけないかもしれないが。

イズマエルがいることで、リオでの生活はかなり楽に過ごせそうだ。BTTも外国人相手だと金をぼるという話を聞いたことがあるが、そういうこともなくなるだろう。やっぱり言葉ができるのは強い。そういえばこっち来るまでは、ポルトガル語をがんばって覚えるつもりだったが、全然進歩がない。まあ日本食屋で日本の漫画を読んでいるくらいだから、当たり前か。

休日のため、行きつけの店も休みのため夜は部屋で一人で過ごす。こういう時じゃないと読まないであろうと思い、大作と呼ばれる本を日本から持ってきた。「罪と罰」とか「ファウスト」とか。「ファウスト」を3ページ読んだ時点で、気分が乗らないので本を閉じた。日本で読まないような本は外国来ても読むわけはない、ということを今更ながら学習した。もっと自分が興味のある本を持ってくればよかった。本当に日本語に飢えたら読むかもしれないので、いちおう捨てるのは止めておくことにした。だがインターネットを常に見られる状況で日本語に飢えることはあるのだろうか。インターネットは確かにすばらしい。ネットのおかげでこうして滞在記もアップできるし、数多くの恩恵を被っている。だがその反面、日本の情報が常に見られるため日本の状況にも引きずられてしまう。外国が非日常の空間という感じがしないのだ。日本に帰ったときに浦島太郎状態になることも、もうないだろう。そういう浦島太郎状態になる感覚も、それはそれで楽しかったのであるが。何かを得れば、何かを失う。その折り合いをつけるのはかなり難しいことであることを、改めて認識した。

本を読む気もしないのでノートパソコンに入れてきた映画を見て時間を潰す。日本では楽しい休日も、こっちだと暇でしょうがない。何か休日を上手く過ごす方法を考えねばならない。


6月11日 BLACK BELT GP

 6月24日に黒帯のトーナメントがサンパウロで開かれる。ライトウェイトとなっていたが、参加選手から予想するとレーヴィ級以下(73KG)の選手でやるトーナメントのようだ。

 柔術の試合を見るのは苦痛なの特に見に行く気もしなかったが、カスキンヤが出場するというので見に行くことにした。よくよくトーナメント表を見ると、有名一流選手がかなり参加している。ポスターに名前のあったレオジーニョは欠場らしくトーナメント表には名前がなかった。だがレオ以外にも、パイシャオン、レオ.サントス、マーシオ.フェイトーザ、マリオ.ヘイスという俺でも知っているような名前がトーナメント表には並んでいた。IMANARIという名前があったが、足関十段の今成正和選手のことだろうか。でも彼はまだ茶帯のはずだから、違うのかな。

カスキンヤの相手はポルトギースとしか書かれていなかった。ポルトガル人の選手らしい。そういえば早川君がパンナムで負けた相手もポルトガル人と言っていたが、同じ人なのだろうか。

入場料は30ヘアルで試合開始時間は夜8時半からだ。日本の大会は平日開催なのに夜6時半開始とかが多い。だが社会人のことを考えたら、8時半とまではいわなくてももう少し開始時間を遅らせることはできないのだろうか。

来週にでもリオに行こうと思っていたが、このトーナメントを見てからリオに行くことに決めた。あと2週間のサンパウロでやり残しがないようにしよう。




6月13日 シコふんじゃっ

成り行きから参加することになってしまった相撲の稽古の日がついに来た。遊びの相撲ならやったことはあるが、本格的な相撲はするのは初めてである。もっとも本格的な相撲をしたことがある人はそう多くはないだろう。エンセン井上が昔、格闘技雑誌の取材で相撲部屋に体験入門して、バーリトゥードに勝つには相撲だ、みたいなことを言っていたことを思い出す。普通の人はなかなか相撲を習うチャンスもないし、俺は恵まれているかもしれない。

 相撲場まではリベルダージから車で15分くらいの場所にある。朝の9時半に集合して皆で車で行くということだ。約束通りに9時半に行ったのだが、約束の場所にいたのは一人だけだ。その人はドイツ在住の日本人カメラマンで、今回は見学に来ている人で、9時から待っていると言っていた。結局皆が集まって出発したのは10時過ぎ。日系の1世の人もいたのだが、ブラジルに長くいると日本人同士であっても時間の待ち合わせどおりに行くことはまずないと言っていた。また遅れるのを見越して待ち合わせ時間を設定するとかも言っていた。ブラジル人にとっては待ち合わせ時間というのは、一体どういう意味を持つものなのだろうか。どうして遅れることが前提になっているのかを、国民性の違いとか文化の違いとかいう漠然とした理由ではなく、一度納得が行く様に説明してもらいたいものだ。

 相撲場に到着。生まれて初めてまわしを巻くことになった。恥ずかしさを隠すためと、借り物であるため衛生面の観点からも、スパッツをはいてその上から巻くことにした。何もはかずに巻いている人もいたが、9割ぐらいは海パンというかプロレスパンツみたいなパンツの上からまわしを巻いていた。海外で定着させるには、ある程度の文化的修正が必要なのだろう。俺自身もスパッツをはいている以上、「こんなのは日本の相撲ではない!」などと言う資格はない。恥ずかしさは置いといて、不思議なことにまわしを巻くと、なんだか腰が据わるというか重心を意識しやすい。そういえば、二重作先生と練習したときに体の軸を意識するために帯を腰に巻いたことがあったが、まわしの場合はそれがもっと顕著になるような気がする。

 稽古に参加する人数は5から10歳ぐらいまでの子供が10人強。それ以上の年齢は10人くらい。でかい人が多い。女性も2人いた。女性の一人は110キロくらいあり、この人とやったら間違いなく圧殺されそうな気がする。人種も日系の人もいるが割合的にはそれ以外の人の方が多い感じだ。

 稽古開始。まずは屈伸とか伸脚とか学校の体育の授業でやったような準備から始まる。こういう準備体操をやったのはすごく久し振りだ。

 続いて四股踏み。何人かが10回ずつ掛け声をする。100回で終わるだろうと勝手に考えていたが、そんなことはなく100回を超えても止める気配はない。おそらく200から300の間はやった。途中からきつすぎて、ついていくのが精一杯であった。日本でも四股を練習で踏んだことはあったが、全くの我流でやっていたためこれを機に正しい四股踏みを習っておくことにした。右足を上げるケースでは左足の膝を伸ばすことを初めて知った。また足を下ろすときは踵から降ろすと痛めるので、つま先から降ろすとのことだ。床についている親指は地面をかむようにするなど、細かいポイントも教わった。

 四股踏みのまま腰を下ろした状態で30秒キープ。またその下ろした状態のまま手を動かすなどの運動を何種類かした。尻から脚にかけての筋肉がパンパンに張っている。土曜日もウェイトが脚の日だったので、脚への負担がきつい。

 次は摺り足で土俵の中を移動。これをパターンを何種類か変えてやる。手の動きをつけたりして、あえて言えばシャドー相撲みたいな感じだ。ゆっくり移動するものだと思っていたが、皆素早く移動していた。

 ようやく準備が終わりいよいよ実戦稽古だ。まずは子供の部が土俵に上がり、一組ずつ相撲をとる。最初は初心者なので子供の部に参加させてもらう予定であったが、参加を見合わせた。あまりに体格差がありすぎて、幼児虐待になってしまう恐れがあったからだ。子供の部が土俵に上がっている間は、立ち木にてっぽうの練習をしたり、また四股を踏んだり、休んだりして時間を潰す。この間は練習というよりも、本当に時間を潰すという感じで皆だらだらやっている。

 子供の部がようやく終わり大人の部。大人の部のなかでも比較的小さい人間が土俵に上がる。俺もここに参加する。先生は別として、俺が一番でかい。俺の他は、14歳の少年(といっても太っていて70キロはある)、18歳の70キロ位の青年、41歳の65キロを超えた位の親父(といっても柔術黒帯)、55キロくらいのジョディ.フォスター似の女性。ちなみに彼女の彼氏がタカヒロといって、俺がよく行く金太郎という飲み屋のマスターである。この5人で勝ち残りで相撲を取っていく。

 柔術黒帯はまだ相撲暦が浅いため、動きが相撲でないため強くない。だが他の人達は動きが相撲になっていて非常にやりづらい。俺の相撲のやり方はテレビで覚えた上手投げとレスリングで覚えた胴タックルと片足タックルという超我流。だがこの動きだと簡単にまわしのいいところを取られてしまう。しかしさすがに体重差があるし、やられることはそうない。だが前褌を取られると、結構動きが制限されてしまうし、バランスを崩されやすい。こっちからまわしを取りに行っても上手く取れないし、なかなか奥が深い。先生に言われたのは、相撲は攻めるスポーツだから決して引くなということだ。俺が引きながら技をかけたら、逆に押し出されてしまったからだ。立ち合いは皆弱いが、先生だけは別で手加減をされたのだろうが軽く吹っ飛ばされてしまった。

 次は大人の部の重量級部門の練習。一人は90キロぐらいだが後の3人は100キロを越えている。一人忘れていた。100キロを超えてる女性も参加。この稽古には軽量級軍団も参加した。俺も100キロを超える巨大力士達と戦ったが、全く相手にならない。100キロを超えている女性とはやらなかったが、やらなくて本当によかったと今では思っている。

 最後に皆で四股を踏み終了。終わったのは3時ちょっとまえ。始まったのが11時前だったので4時間に及ぶ練習だ。といってもやたらと待ち時間が長かったので、正味1時間半もないくらいの練習だ。スタミナはつかないかもしれないが、瞬発力や足腰を鍛えるにはいい練習だ。四股や摺り足の一人でもできる地味な練習は、やっているうちに腰が強くなっていくと、先生がおっしゃっていた。スタンドでの組み技は自分の課題であるので、自分の練習に取り入れていこう。

 練習後はちゃんこではなく、カレーであった。こうやって練習後に皆で相撲場で食事をするというのは、なんかいい感じだ。戦後こちらに来た一世の方の話なども聞け、非常にいい一日であった。これも格闘技のおかげだ。


 6月16日 RYAN GRACIE

カスキンヤと昼の12時に道場で待ち合わせをした。グレイシー.サンパウロに連れて行ってもらう約束をしたためである。ここにはグレイシー一族最狂の男、ハイアン.グレイシーがいる。

移動はカスキンヤの車だ。運展中も彼はクレイジー振りを発揮していて、俺はこのまま死ぬかもしれないと何度思ったことか。とにかく脇見運転しまくりなのである。英語ができないため、俺のポルトガル語会話集を見ながら会話をしているのだが、運転しながら会話集を見ているため、危なっかしくてしょうがない。俺がそれを見てびびっていると、会話集の「大丈夫です。お気にせずに」という箇所を目ざとく見つけ、それを指差しているのである。こいつはクレイジーに見えるが、実は天才かもしれない。

 道場の場所はItaim Bibiという高級住宅地のスポーツクラブの中にある。ネットで調べたグレイシー.サンパウロの場所はMorumbiだったので、場所が移転したのだろうか。もしかしたらグレイシー.サンパウロ自体は別の場所にあり、ここはハイアンの専属道場なのかもしれない。

 このジムは5階建てで、俺が過去ブラジルで見たジムの中では最高の設備を揃えている。地下一階が更衣室。一階と二階がウェイト及び有酸素マシーン。マシーン、フリーウェイト共に充実しており、拘り続けていたスクワットラックをついに拝むことができた。三階がダンススタジオ及びボクシングジム。ちゃんとしたリングもあり、サンドバックもキック用も含め数本備え付けられている。四階が柔術場になっていてかなり広い。スパーリングは10組以上余裕でできるぐらいの広さである。壁にはハイアン.グレイシーのマークがある。

 1時から練習開始。特に指導員もいなくて準備ができたものからスパーリングをする感じだ。さすがに黒帯が多く5,6人いたがハイアンは来ていなかった。まずは紫帯と10分間のスパー。1分ほど休んで、黒帯とまた10分のスパー。相手を代えて別の黒帯と10分のスパー。皆スパーが終わった後に、ここの場面ではこうやったほうがいいと、適切なアドバイスをくれて大変参考になる。日本だとあまり下の帯の人にアドバイスを受けたりはしないのだが、こっちに来てからはさすがに白帯の指導は受けないが、青帯の選手にはたまにアドバイスをもらう。帯が下でも場面によっては、青帯の方が実力が上の面も多々あるので、非常にいいことだと思う。日本だとスパーをやりっぱなしになってしまうことが多かったが、やられた場面の指導を受けると次にフィードバックできる。こういう積み重ねが大事だと感じた。

 疲れていたが今度は白帯とやる。やり始めた時点で、白帯が止めようと言って来た。皆スパーを止めている。何事かと思うと、ハイアンが道場に入ってきた。道場生全員と一人一人握手。カスキンヤが俺のことを日本から来たと紹介してくれた。適当に、この前の美濃輪戦に勝っておめでとうとか言うと、けっこう喜んでくれて歓迎してくれたように見えた。なんか声が思ったより優しい声でイメージとは全然違った。また、あごの周りは、この前の美濃輪戦よりもさらに肉付きが良くなっていた。

 白帯とのスパーを続けていると、準備体操を終えたハイアンが技の指導に入った。キモノは着ていない。寝技で相手が亀になっているときの崩しを4種類くらい習った。なんか柔術というより、レスリングの技のような感じだ。やってみてもいま一つしっくりこない。だが、道場にいる黒帯全員もものすごくまじめに習った技の反復に取り組んでいる。また技をかけられた黒帯も必要以上に表情を作っているように見えた。ハイアンの柔術テクニックがどれくらいのものかは、今回習った技がレスリング系の技だったため良く分からなかった。だが道場生全員がハイアンを尊敬している様子は良く分かった。

 続いて限定スパーリング。技の打ち込みをした相手とやる。ハイアンはエドワルド(ムエタイの先生)とやっていた。時間はたぶん適当で2分から3分ぐらいの感じだ。攻守を代え、まずは片足タックル。続いてフックガード、ハーフガード、マウントポジション、バックマウントと続く。こういう地味な練習をハイアンがやるとは思わなかった。また地味であるが、非常にいい練習であるし、体力も相当使う。こっちに来てからスパーの本数がちょっと物足りないと思っていたが、初めて、早く終わってくれと思った。それぐらいスタミナを消耗した。

 ようやく限定スパーも終わり、ほとんどの選手が帰り支度をした。ハイアンは遅く来た分、別の黒帯と裸のスパーをしていた。俺ももう止めたかったのだが、練習の途中から来て体力がまだ十分残っていそうな紫帯がスパー相手に俺を指名してきた。俺が日本人で見慣れない奴だからめずらしいのだろう。さすがに頼まれると断れない。特に強くはなかったが、ガチ系だったので、怪我をしないことだけを心掛けた。こいつがなかなかスパーを止めようとしないのである。どちらかが極めれば止められるのだろうが、お互いに極めきれず、10分以上もスパーを続けていた。ハイアンも既にスパーを止めている。まずい。ハイアンが帰ってしまったら、一緒に写真が撮れないではないか。そう思った俺は早くスパーを終わらせるため、ハーフからの適当な袖車に無抵抗でタップしてしまった。無気力ファイトをしたイグナショフやバンナの気持ちが、今となっては良く分かる。

 無事にスパーから抜けられ、ハイアンと写真を撮ることになったが、練習後でハイアンは相当疲れていて椅子から立ち上がろうとしない。俺よりもスタミナがないではないか。写真も結局、椅子の座ったハイアンと撮ることになってしまった。しかし、いまいちなのでちゃんとハイアンマークの下で撮り直すことにした。疲れているハイアンを無理やり立たせて撮影をしたが、ハイアンはちゃんと要望に答えてくれて、本当に感謝だ。(欲を言えばスパーもしたかった。)内心は怒っていたのかもしれないが、特にいやな表情はしていなかった。ハイアンも喧嘩好きなのかもしれないが、フジテレビがハイアンを紹介するときに悪者にするあおりはちょっとひどすぎる。マスコミなんてものは大抵が真実を伝えないのだからしょうがないかもしれない。でも情報をもっていない人間はマスコミの報道を信じてしまうしかないから、そこにマスコミに対する憤りを感じてしまう。

 

6月18日 sem Kimono

 現在キモノは3着ある。日本から2着持ってきて、こっちで1着購入した。柔術の練習は基本的には一日一回のため、3着あればぎりぎり回せる。サンパウロではコインランドリーを見つけることができず、しかたなくホテルのフロントにランドリーを頼んでいる。朝出すと2日後の朝に戻ってくる。去年リオにいた時は午前中は洗濯で潰れていたことを考えると、めちゃくちゃ楽だ。料金は一回大体12から15レアル。出費は痛いが、この簡便さんを考えたら止むを得ない。

今までブラジルの通貨をヘアルと書いていたが、今後は日本語のレアルで書く。ブラジル読みだとヘアウなのだが、これは1に対してしか適用されない。それより多い数だと複数形でヘアイスという。最初はへアイスと聞こえていたので、俺の耳がおかしいのかと思っていたが、どうやら俺の耳は普通だった。昨日日系2世の人に教えてもらって、ようやく疑問が解けた。ヘアルという書き方だと日本語にもなっていないし、ポルトガル語の発音にもなっていない。なんか中途半端な表記になってしまっていた。

 ホテルの受付のミスで、今日に限ってはキモノが手許にない状態になってしまった。しかたなくキモノなしで練習に行く。実は今週の月曜日にカスキンヤにコラルのキモノを購入できるよう頼んでおいた。だが火曜日から毎日、明日まで待ての繰り返しだ。上手くいけば、今日キモノが買えるかもしれないと思ったが、予想通りというか月曜日まで待てとの回答だった。このまま永久にコラルのキモノは手に入らないような気がする。

 練習は4時からの別の先生のクラスにも出ようと思った。しかし生徒は俺一人。先生も来なかった。どうもこの夕方のクラスはなくなったらしい。まぎらわしいので時間割から消しておいてほしいものだ。しかたないので5時半のカスキンヤのクラスまで、道場で飼っている犬と遊んで時間を潰した。この犬はピットブルなのだが全然怖くない。ピットブルは闘犬用で怖いと思っていたが、そんなことは全くなかった。俺がバランスボールを犬めがけて軽く蹴ったら、びびって逃げようとしているぐらいだ。

 カスキンヤのクラスも金曜のためか生徒がいつもより少ない。今日はテクニックは一つだけであったが、裸でも可能なテクニックだったので助かった。

スパーは裸でも普通にやってくれる。だが皆いちいちキモノを脱いで上半身裸になるのだ。せめてTシャツぐらい着てほしい。俺の場合は裸だと相当楽に感じる。なんといってもあのうざいスパイダーガードをやられなくてすむからだ。あと足関節も自由に使えるのもいい。柔術ではヒールホールドは全面禁止、膝十字やアンクルホールドも黒帯と茶帯しか使えない。紫帯から下はアキレス腱固めしか使えないのだ。またそのアキレスのかけ方にもどうでもいいような制限がついており、足関節に関しては結構窮屈なルールなのだ。

下からのヒールホールドは裸では効果的なスイープだと、中井さんが言っていたのを雑誌で見たが、本当にそのとおりだと今日はものすごく感じた。100キロぐらいの黒帯とスパーしたが、二回ほどヒールから上を取ることに成功した。ヒールで極めれれば一番いいんだろうが。せっかく上を取ったのだが、その後には怪力フロントチョークで速攻やられてしまった。フロントチョークも首ごと力で極められる感じで、型に入ったらちょっと対処のしようがない気がする。確実に明日は首が動かないだろう。


6月20日 シコふんじゃった。その2

 日曜日にサンパウロの相撲大会があるということで、午後から見学に行くことにした。今日の大会は特に何かしらの選手権の予選というわけではなく、一つのお祭り的大会というか練習試合みたいなものだそうだ。

 ちょうどお昼頃に会場に到着。子供の部と女子の部とが終わったところであり、昼食の時間となった。アルコール類は販売していたが、食べ物は無料。選手も応援に来ている人達も自由に食べることができる。サラダ、カレー、スパゲティー、鳥の唐揚げというメニューであり、俺も一緒になって食べたがまたも食べ過ぎてしまった。相撲取り(と呼んでいいのか分からないが)に囲まれると、ついついまわりの勢いに巻き込まれて限界以上の量を食べてしまう。

 午後からは準成年(19歳以下)と成年の部の試合がある。100キロ超級も多く、まさに相撲という感じだ。金太郎のマスターの兄弟が試合をするので、彼らの応援が目的だ。ビールでも飲もうかなあと思っていると、会長さんがいたので、先週のお礼をしにいった。

「どう?青年の部に出ない?」

というお誘いの声がかかった。練習ならいいが試合は怪我が怖いので断ることにした。しかし会長は、

「これもひとつのいい経験になるよ。まわしも貸すから。」

ということで、俺の断りは全く通らずに、急遽参加することになってしまった。こんなことなら食べ過ぎるんではなかった。酒を飲まなかっただけ、まだましだが。

 青年の部は20人くらい参加。トーナメントで優勝者を決める。そのトーナメントの前には、東西に分かれてウォーミングアップを兼ねて3人抜きの試合をする。3人抜きすると、商品として米と油がもらえる。もらっても、俺にはしょうがないものだ。参加賞がママレモンというのも、俺にとっては使いようがない。まさか日本まで持って帰るわけにもいくまい。こっちでもママレモンと言うのか知らないが、一応lemonと英語で表記されていたので、ママレモンということにしておく。ママはどこにいったんだという突っ込みはなしである。

 3人抜きの試合は2回でたが2回とも負け。いよいよ本番のトーナメントだ。組み合わせは事前に抽選で決めている。俺より小さいのも何人かいたので、彼らとあたることを願った。やはり相手が弱くてもいいから、勝ちたいのだ。

 名前が呼ばれるまで相手が誰かは分からない。まともに行っても勝ち目は無いだろうから、いろいろ作戦を考えてみる。猫だましとか八艘飛びとか。掌底フックであごを狙うことも考えたのだが、フックは反則らしい。ストレートならいいとのことだが、どうも掌底でストレートを打つ練習をしてみたが、しっくりこない。たぶん相手に当たる前に組まれてしまうだろうから、掌底は使うのをやめることにした。作戦がまとまらないまま俺の名前が呼ばれた。

 相手は白人のブラジル人。見た感じ体重は75キロ位。ラッキーなことに数少ない俺より小さい相手だ。だが技があるかもしれないから油断はできない。何も考えず、いつもどおりの組技の戦いをやろうと心を決めた。いつもどおりと言っても、さすがに引き込み(組んだ瞬間に自分から倒れて寝技に相手を誘うこと) をやるほど馬鹿ではない。行事の「はっきょーい、のこった」という声に合わせて左脇からさして胴タックルに行く。上手く両脇をさせたので、そのままさば折りで倒そうと前に出る。すると相手の足が土俵から出てしまい、あっさりと勝つことができた。なんかよく分からない間に終わったというのが感想だ。運がよかったのか、ただ相手が弱かっただけなのか。とりあえず勝つことができたので一安心だ。お辞儀をして土俵を出ようとすると、勝ち名乗りを受けろと注意を受けた。きちんと蹲踞をして行司の方を向くのだ。そういえば大相撲でもやっていたな。これからの自分の試合のことで頭がいっぱいで、勝った後の礼儀作法まで頭が回っていなかった。

 続くに2回戦。日系の110キロ位の人。脇をさしに行ったのだが、あっさりと押し出されて負けてしまった。なんかもう少し粘りたかったのだが、そう上手くはいかないものだ。

 こうして、俺の相撲取りとしてのデビュー戦と第2戦が終わった。とりあえず1勝できたのは大きい。一回戦負けだったら当然この滞在記には試合に出たことは書かず、俺が相撲の試合に出たという事実は永久に他人に知られることはなかったであろう。会長さん達も、とりあえずよくやったと褒めてくれた。腰が高すぎるとか技術的な指導も受けた。また、四股をもっと踏めとも言われた。せっかくだから総合の練習に相撲を上手く取り入れたいものだ。

 トーナメントは金太郎のマスターが準優勝で終わった。続いてチームごとの団体戦が行われた。全てが終わり表彰式。いろいろな人種がいる。人種といってもブラジル人なのであるが、日系、白人、黒人、インディオ、混血。子供たちの部だと、日系の子の占める割合は少ないらしい。あと相撲は道具が回し一つで金もかからないため、結構貧しい子供達も習っているとのことだ。相撲を通じた教育というのがどこまで有効なのかは分からないが、子供のころに夢中になれるものがあり、そこで少しでも礼儀なりを教われば、彼らにとっては将来何らかのものは残ると思う。

 表彰式が終わった後は、後援会の人達に酒を勧められ、飲みながら歓談。昔十両まで行った人に相撲界の裏話を聞いたが、これが相当面白かった。やばい話も多かったので残念ながらここで公表することはできない。週刊誌に持っていけば高く売れそうな話だということだけに留めておく。 

 


6月23日 LUCIANO CASQUINHA

 明日はカスキンヤの試合のため練習はない。金曜日も道場に行けるか分からないので、今日がこの道場での最後の練習になるかもしれない。今後サンパウロで練習するかもしれない柔術修行者のために、道場選びに際しての俺の意見を述べたいと思う。俺の場合はこっちに来てから道場を探したが、かなり苦労したので、事前に日本で3,4箇所の道場を選んでおいて、実際体験してから決めるというのが一番いい方法だと思う。他の道場は一日だけの出稽古だけだったので、ここではカスキンヤの道場に関してだけ記す。

カスキンヤの道場であるが、白帯や青帯の人達には非常にいい道場だと思う。結構基本的な技から教えてくれるし、技の打ち込みに時間をかけ、練習もそれほどハードではない。道場も広いし練習も朝、昼、夜とある。道場の雰囲気はカスキンヤの人柄を反映してか、非常に明るく活気がある。

紫帯以上でがんがんやりたい人にはちょっと物足りないかもしれない。なんといってもスパーリングの量が圧倒的に少ないのだ。俺は2コマ連続でレッスンに出たりしてスパー不足を補ったが、教わるテクニックは前のレッスンと同じなので効率はわるくなる。レッスンにおいては場合にもやるが後半の30分強がスパーに当てられる。このスパーも時間を決めてカスキンヤが仕切る場合であればいいのだが、そうでない場合は無制限のスパーになる。終わるのはお互いの合意という良く分からないやり方である。俺の場合は多くの場合、俺が一本を取られるか、俺がいいポジションを取ると終わる。俺が一本を取って終わることは少ない。俺の場合というか通常の人はそうだと思うのだが、攻められていても完全に負けなければあきらめないで逆転のチャンスを待つと思う。だが、こっちの多くの人は自分が攻めるだけ攻めておいて、いざ自分が不利な体勢になった瞬間に止めようと言ってくるのだ。だから俺が有利な体勢になってもそこで終わってしまう。なんか損をしている気分になる。あと時間を決めないとスパー後半になると、お互いに疲れているためダレてしまう。時間を決めて集中してスパーしたほうが、いろいろ展開も作れるし技も試せるのでいいと思うのだがどうだろう。

紫帯以上の選手はあまりいない。黒帯はたまにハイアンの道場の人間が来たりするが、基本的にはカスキンヤだけだ。そういえば、俺が来たときは常に相手をしてくれると言っていたが、結局一回しかやってくれなかった。まあ試合前なので許してやろう。黒帯とやりたければ、カスキンヤに頼めばハイアンの道場に連れて行ってくれるので、そこでやることは可能である。

 地理的な面で行けばここはかなりいい場所である。メトロで行けるというのは大きい。俺が知っている限りでは、メトロで行ける道場は数箇所しかない。大抵の道場は車でしか行けないような場所にある。道路も夕方は特に渋滞が激しいため、バス等の車で通うのはお勧めできない。

道場の近くに住めば交通の問題は解決されると皆思うだろう。確かにその通りなのだ。だが俺の場合に限れば、今回サンパウロに来たのは、リベルダージという日本語の通じる日本人街があるから生活が楽になると思ったからだ。あえてリベルダージを離れた場所に住むのであれば、リオにでも道場はたくさんあるからリオに住む選択をしていた。この辺は個人の好みに寄ると思う。

当初の目的ではバーリトゥードの練習だったのに、結局柔術の練習だけになってしまった。(あやしいムエタイもやったけど練習になったのかは良く分からない。)正直に言って、日本にいた時から進歩したかは確信が持てない。少なくとも打撃とレスリングはほとんどやってないので、むしろ弱くなってしまっただろう。キモノを着た寝技は多少は良くなったのだろうか。最近は苦手な上から攻める練習ばかりやっていたら、下になった時に足が全く利かなくなってしまった。このままでは、上がったのはベンチプレスの重量だけという冗談みたいな修行になってしまう。それはそれでうれしいのだけど...


6月24日 愛と感動のトーナメント

 とにかく疲れた。試合自体は膠着も少なく面白かった。しかし、自分の思い入れの選手が消えていくにつれ、同じように俺の試合への興味も消えていった。今日は73キロ以下の黒帯のトーナメントが開催されたのである。

結局、レオ.サントスがレオナルド.ヒベイロを下して優勝した。しかし俺はこの試合を見ないで帰った。準決勝が終わるまではテンポ良く進み、疲れながらもなんとか見ることができた。だが決勝の前に休憩が入り、最後まで試合を見ようと思っていた心の糸が切れた。

ここまで来て最後まで見ないのは馬鹿だと、俺も思う。でも決勝戦を見たからといって、俺の明日からの生活は何も変わらないし、俺の心には何の影響も与えないことは分かっていた。決勝の前に、十分すぎるほどの感動をもらっていたからだ。

試合会場まではチアゴの車で、ホテルから連れて行ってもらった。試合開始は8時半の予定。9時前に着いたが、当たり前のように試合は始まっていない。結局開始したのは10時過ぎというブラジルタイム。いいことなのか分からないが、さすがに慣れてきた。怒るだけ無駄なエネルギーを使ってしまうということが分かったからだ。

会場は正面のステージにマットが引かれていて、寝技の攻防を見るには見づらい会場だ。小中学校の体育館で朝礼とかで校長先生が話しをするステージ上にマットが引かれていて、観客は一段下のフロアから見上げるというイメージだ。ただステージの横にはスクリーンが設置されていて、細かい攻防はそれを見れば分かるようにはなっている。

 トーナメントが開始。有名選手は普通に一回戦を勝ちあがっていく。通常の黒帯の試合は10分で行われるが、今回は7分である。観戦するにはちょうどいい時間の長さだ。また時間が短いため試合の展開も速い。だが試合のマットが通常より狭いように見えた。試合中も場外ブレークや、もつれて試合場の外に出てしまうシーンが数多く見られた。

 試合中は各アカデミーの応援団が、自分のアカデミーの選手が出ると物凄い勢いで応援をする。だが応援に関して言えば、熱狂度はやはりカスキンヤ率いるグレイシーサンパウロだ。とにかく凄い。皆立ち上がり、大絶叫。そしてカスキンヤコールの大合唱だ。他のアカデミーでコールをしているのは皆無だった。また試合の途中には、グレイシーサンパウロの歌を歌いだす始末である。この大応援に後押しされ、一回戦のカスキンヤはポルトギースと呼ばれていた選手から、スパイダーガードからのもぐりでスイープし、最終的には4−0で勝利。皆大興奮だ。カスキンヤから習ったテクニックは、上からの攻めが多かったため、彼が下から意外なテクニシャン振りを発揮していたので驚いた。だてに黒帯は巻いていない。

 2回戦の相手は、フレジソン.パイシャオン。世界チャンピオンにもなった化け物みたいに強い選手だ。実は昨年、リオでパイシャオンとはスパーしている。その時はボコボコにされ殺されかけた。二人とスパーした感覚から言えば、確実にカスキンヤはやられるだろう。大カスキンヤコールの中、試合開始。以外にもカスキンヤがまたもやもぐりからのスイープに成功し2ポイントを先にゲットした。俺の周りはもう割れんばかりの大歓声である。しかし徐々に自力の差が出てしまい、逆にスイープされパスを2回されマウントをとられ、最終的には確か12−2位の大差で負けてしまった。途中からはどう見ても勝ち目はないように見えた。だがカスキンヤは生徒の応援に応えるように、決してあきらめない。バックから締めを狙われ続けながらも脱出し、応援団の方を見て、「大丈夫だぜ」みたいなゼスチャーをした時は最高にかっこ良く鳥肌がたった。試合が終わった後も、生徒達も感動し、またもやカスキンヤコール。俺も一緒になってやった。自然に体が動いてしまった。

 試合後にカスキンヤは生徒一人一人と握手しハグする。俺には「sorry」と言ってくれた。目頭が熱くなった。リオに行く前に本当にいいものが見れた。当初の予定とは違ったが、カスキンヤのところで柔術を習えたのは本当に良かった。

 他の試合に関しては格闘技雑誌にレポートされるだろうから多くは述べない。少し感想を述べると、レオ.サントスのフックガードからのスイープが良く分からないが、面白いように決まる。何の仕掛けもないように見えるが、何か不思議な秘伝があるのだろうか。サントスとパイシャオンが準決勝であたったが、思った以上に実力差があるようで、サントスが小内刈りからのテイクダウンとパスガードで完勝。サントスは下から出なく上からも普通に強い。途中で負けたが、マリオ.ヘイスのラバーガードからの十字やオモプラータは驚異的だ。初めて試合を見たが相当膝が柔らかい選手だ。全体的に面白い試合が多く30レアルの入場料も損した気はしない。

 日本から修行に来ている渡辺直由選手にもあった。アリアンシで練習しているらしい。都合がつけば俺も出稽古に行きたかったのだが、今回は日程的に難しいのであきらめることにした。渡辺選手はムンジアルもアリアンシから出ようとしているらしい。そのため日曜日にはパウリスタという大会に出て、そこで勝たないと出場権がもらえないとのことだ。ムンジアルは各アカデミーごとに2名と言う出場枠があるのである。だから日本人選手の場合は、日本のアカデミーの枠を使えばたいていの場合は出場可能だ。だが、彼はアリアンシで練習させてもらっているから、あえて日本の枠を使わないらしい。意識が高い。本気で世界を狙っているのだろう。俺とは全然違う。俺は日本のストライプルの枠を使わさせてもらう。普通にブラジルの予選に出たらまず勝てないのは分かっているからだ。それでいながら、世界大会に出るというのも間違っている気もする。日本でもアメリカでも実績がないのに、世界大会というのも普通に考えればおかしい話だ。予選をきちんと闘う人達に対しては後ろめたい気もするが、そういう環境も含めて実力なのだと、無理やり自分を納得させることにする。


6月26日 PS,サンパウロ

 サンパウロ最後の日になってしまった。今までの滞在記で書けなかったことや、今後のブラジル柔術修行者に関して少しでも有益な情報が記せたらと思う。今までは自分の体験したことしか書かなかったため、ブラジルに対して相当偏った情報になってしまったと思う。こちらの駐在員の方の話を聞くと、やはりブラジルは怖い国だなと思う。たまたま自分が運よく危ない目に会わなかっただけなので、今後ブラジルに来る方は、ある程度の覚悟を持って来た方がいい。

 こちらの駐在員の方の車に乗るときにまず感じたのは、ドアが重いということだ。何故だか分かるだろうか?窓が全て防弾ガラスでできているからなのだ。銃弾に3発までは耐えられるということである。生まれて初めて防弾ガラスの車に乗った。窓の厚みが半端ではない。日本にいる人、及び海外で生活した人でも、なかなか防弾ガラスの車に乗った人はいないのではなかろうか。その車に乗せてくれた方も、一度信号待ちしているときに、ホールドアップにあったと言っていた。そういえばチアゴにサンパウロの街を一度車で夜中に案内してもらったことがある。その時に、ここはサンパウロで一番危ない地域だと言って、普通に車で通ったことがある。もちろん防弾なしである。あの時は何も感じなかったが、今思うとぞっとする。あと日中は普通に運転していても、夜中になると赤信号でも止まらない。止まると狙われるということらしい。昔、日本でその記事を読んだことがあるが、リオに行った時はそんなことはなかったので、その時は大げさな記事だと思った気がする。リオの時がたまたまだったのだろう。
短期間の旅行者の観点と、こちらで生活している人の観点は違うのだ。今後も軽はずみな発言をしてしまうかもしれないが、それはあくまでも一旅行者の視点と思っていただきたい。リオはサンパウロより危険だという忠告を頂いたが、それはしっかりと胸に抱いていようと思う。

 リベルダージに行ったら、金太郎という居酒屋にぜひ行ってほしい。通りの名前は分からないが、俺の泊まったオリエンタルプラザホテルの真裏にある。Rua GalvaoBuenoと垂直に走っている通りにある。俺のサンパウロの人脈は全て金太郎から始まった。相撲の練習にも参加させてもらったし、大学の先輩も紹介してもらったし、チアゴ経由で道場も紹介してもらった。ぱっと見た感じ、常連しかいないので、最初は躊躇するかもしれない。だが飲んでいるうちに、隣の人とも仲良くなってしまう。マスターのタカヒロは日本語もできるし格闘技好きだし、柔術修行者は一度立ち寄ってほしい。値段もお手頃だし、つまみも旨い。あと日本食でリベルダージで旨い店は喜怒哀楽という店だ。他の日本食より若干高いが(といっても3レアルぐらい)、ここは日本とほとんど変わらないぐらいの味だ。とんかつ定食で21レアルだった。場所は日本移民資料館の真ん前である 大学の先輩に連れて行ってもらった阿吽という店は相当レベルの高い店である。ここも金に余裕があれば(と言っても日本円で換算したら安い)、ぜひ寄って欲しい店だ。旨い焼酎、日本酒、料理、雰囲気と最高の贅沢を味わえる。場所はAV.PAURISTA,854である。確か地下の店だったと思う。
 飯に関していえば日本食に拘らなければ、安く大量の食事が食える。実は俺はこっちに来てから、腹が減ったという感じを一度も味わっていない。一食の量が多すぎるのだ。フェジョアーダの定食を食べても、9レアルはしないぐらいで、俺が残すぐらいの量が出てくる。他の定食とかでも最低5レアルぐらいで普通に食べることができる。ビールの大瓶をつけても、プラス3レアルぐらいにしかならない。何でもビールは大衆の飲み物なので酒税が安いらしい。ちなみに日本で一番酒税が高いのはビールである。その上、消費税までかかり二重に税金がとられている。俺はビール党なので、そうとう日本の税収に貢献していると思う。その分他で恩恵を受けたいのだが、残念ながら何もない。
 食事に関しては人それぞれだと思う。俺が旨いと書いた店も人によっては合わないかもしれない。値段が高ければ食材はいいかもしれないが、口に合うかどうかは個人の好みによると思うので。それは日本でも同じことだ。ブラジルのように情報があまり無い場合は、人の情報を頼ってしまうと思うが、最終的には各自で判断して頂きたい。個別の店の名をだしながら、そういうことを言うのはずるいとは思うが。 

 サプリメントを買いたいのであれば、大鵬という店が卸しの店なので小売価格より安く買えるのでいい。普通の店の7割ぐらいで買える。社長のユリさんは二世の方なのだが、日本語が上手でお話が面白く、サプリメントを買いにいってもついつい話し込んでしまうぐらい、魅力的な方だった。一応、卸しの店なので普通の客が大量に押しかけても商売の邪魔になってしまうので、ここでは住所は記さない。だがサンパウロに行く人であればメールを頂ければ紹介する。井上の紹介だといえば大丈夫だ。俺自身も人の紹介だったので。

 柔術関係の店としては、ドラゴンの店が一番メトロからは行きやすいと思う。ドラゴンの店の正面にはコラルも売っているサプリメントショップもある。ドラゴンはカードでなく、キャッシュで買えば多少の割引があった。自分から割り引いてくれと言った場合に限るとは思うが、言ってみる価値はある。店がカード会社に払う手数料は意外に高いので、その分の割引なのだろう。コラルは値段も高く300レアルぐらいする。リオで売っているキモノは
だいたい150レアルぐらいだったので、サンパウロの物価の高さがキモノにも反映されているのだろうか。

 その他にも、個人名は出さないが、本当にいろいろな方のお世話になった。特に新聞社の方と大学の先輩方には、本当に感謝しています。ようやくサンパウロに慣れ始めた時なので、名残惜しい。一つの都市に一ヶ月は、その都市を理解するには短すぎる。特にサンパウロのようにでかい街は。リオからバスで6時間なので、暇があればまた来たい街だ。今回はあまり分からなかったサンパウロという街を、次はじっくりと味わいたい.