新田 明臣 K−1WORLD MAX決勝への道


【プロローグ


「本当にやってしまった。」

2005.2.23、有明コロシアムで行われた、「K−1WORLD MAX 日本代表決定トーナメント。」

ミドル級日本最強の男を決めるこの大会の認知度は格闘技界を超えて拡がっており、

「もうすぐK−1MAXありますよね!」

そんな会話を、職場や電車の中で耳にすることも一度や二度ではなかった。

小比類巻選手、村浜選手、武田選手、安廣選手、HAYATO選手、といったハンパでない強さを誇る一騎当千のファイターたちが優勝目指して戦うONE DAY トーナメント。

リザーブマッチから本戦参加、

瞬く間に決勝まで進んだ新田 明臣選手。

この真冬の熱い夜について、少しばかり書かせていただきたいと思う。


【復活への序曲】

それは約一ヶ月前のこと。

新田選手は、新品のスニーカーを履いて、近くの交差点に現れた。

「このスニーカー、講習会受けないと買えないんですよ、しかも3万円もするんですよ!」

「すげー!靴の値段も凄いけど、それを迷わず買っちゃう新田さんも凄いですよ!」

そんな会話を交わしながら通りを歩いていた。

突然、新田さんが

「まだ秘密なんですけど、、、、2月のK−1MAX、リザーブマッチだけど出場決定したんですよ!!!」

「やったじゃないですかっ!K1のリザーブってどんな感じなんですか?」

「欠場選手が出たときに、代わりに本戦で出れるらしいです。絶対本戦に出て優勝しますよ!!」

少し前まで、怪我の影響やダメージの蓄積もあり、国内での試合では良い結果に恵まれず、

「歯車がかみ合っていない感覚」だったという新田選手。

ひとつひとつのPROBLEMを整理し、

ニコラスさんとのハードな練習と、

格闘技医学的トレーニング、

そして何より本人がもっとも大切にしている「イメージの力」で、

復活への準備は着々と進んでいた。

そしてその復活の舞台はK−1MAXのリングになった。









【反応、覚醒、そしてイメージ】

新田選手の格闘技メディカルトレーニングとコンディショニングを二人三脚で始めて1年近くたつ。

その間、克服しなければならないPROBLEM(問題)はいくつかあったが、

その中でも特に時間を割いたのは「反応」と「覚醒」であった。

新田選手のパワー、スタミナといった基礎体力は群を抜いており。試合経験も豊富だ。

そのため彼の場合は新しく何かを獲得するINPUT(入力)のトレーニングではなく、

持っているポテンシャルを100パーセントに近い状態でOUTPUT(出力)するためトレーニングをメインにプログラミングしたのだった。

「反応」は、あらゆる変化に対応できるよう、脳への情報入力をすぐに整理し、動きにつなげていく(OUTPUT)メニュー。

動きの早い選手や、動きのパターンや間合いの全く違う総合出身の選手にも対応できるように、

また実力が拮抗している相手の場合、

主導権の奪い合いが特に激しくなり、ピンチがすぐチャンスに、またチャンスがすぐピンチに変わってしまうため、

「反応」の向上を目指した。

「覚醒」は、長年3分5ラウンドの戦いに慣れていて、

展開の早い3分3ラウンドの戦いに順応するためのテーマであった。

スロースターターであることを気にしており、

相手のいい攻撃をもらって初めて「目が覚める」。

結果、エンジンが全開になる前にペースを取られることがあったため、

早い段階から「覚醒」し、意識レベルを試合用に引き上げておく必要があった。

そして全ての場面で、常に「クリアな映像として」のイメージを持ってもらうようにした。

プロスポーツの世界でよく言われることだが、どんなに優れたトレーニングであっても、そのトレーニングの意味や目的を理解することなしにいくらトレーニングを積んでも意味がない。

へたすると、「トレーニングが上手」になってしまうため、それだけは避けるように毎回メニューは少しずつ変化をもたせた。

彼くらいの試合経験豊富な選手になると、そこからさらに一歩進めて、トレーニングを実際の試合場でのイメージや記憶と結びつけることができる。

どんなときも、イメージを大切にすること。

意志の力を凌駕する、イメージの力の持つパワーを新田選手はリング上で証明することになる。



【戦いの神様と職場、そして妻のサポート】

試合前日。

新田選手は、「戦いの神様」にお参りに行った。

本当は一緒に行く予定であったが、

計量が早めに終わったため彼は私より一足早く向かったのだった。

感受性豊かな彼は、そこでかなり感銘を受けたらしく、

次の日の確かな手ごたえを感じたようであった。



そして、ついに迎えた、決戦当日。

私は、勤め先の病院に許可をもらい、午後はお休みをいただいた。

普通の病院であれば、格闘技のチームドクターのためにOFFをくれたりしないが、

新田選手は病院でのリハビリテーション患者でもあり、スタッフからも人気があること、

そして何より、病院のスタッフが格闘技が大好きなこと(なんと院長先生は緑 健児のファン)もあり、

「先生、頑張ってきてください!」とまるで私が戦うような勢いで送り出してくれたことが、とてもうれしかった。

急いで家に帰ると、

部屋に大きめのかっちょいいジュラルミンケースが用意してあった。

妻が、この日のために、チームドクターグッズ(トーナメントを乗り切るための様々な応急処置の医薬品やテーピングなどのセット)を準備してくれていたのだ。

新田選手のデビュー戦のとき、高校生だった私の妻も全く同じ後楽園のリングに上がっていて凄く刺激を受けた、

という話を新田選手から聞いていた。本当に人の縁とは面白いものだ!!!

「一緒に戦ってくるわ」

妻に見送られつつ、

泥棒日記特製の新田Tシャツを着て、有楽町線経由で会場に向かった。


【リザーブマッチ、そして...】

有明コロシアムに到着する。気の早いお客さんたちが長蛇の列を作っている。

関係者入り口でパスを受け取り、控え室に着く。

新田選手とニコラスさんはすでに一度目のウォーミングアップを終了していた。

なかなか調子もいいようで、反応も動きも良かった様子。

その後いくつかのリハビリメニューと脳・神経系のトレーニングで脳を覚醒させ、

リザーブマッチに望んだ。

リザーブマッチは、アシュラ選手との対戦であった。

ほとんど情報がない選手であったが、パンチの威力と回転の速さ、

そして前にでるファイトスタイルが印象的な選手。ポテンシャルの高さを感じた。

ガードをくぐり抜けていいパンチをもらう場面もあったが、新田選手は、ローキックを効かせてKO勝ちを奪った。



控え室に戻ったTEAM NITTAは、すぐに次の試合の準備を始めた。

みんな必ず次がある。そう信じての行動だった。

リザーブマッチを終えて、一瞬たりとも気が抜けることのないよう、

みんなでテンションをキープしておく。

「ニッタ、今日の仕事はあと二つだから!」

空気を創る達人、ニコラスさんが新田選手に檄を飛ばす。

自分も、次に動けるようにすぐにRICE処置を行い、炎症を抑える。

側近の渡辺ヒロトさんは試合情報の収集に走り回り、

半澤さんはコンビニに買い出しにいく。

そして新田選手自身は、ノートを取り出し、ものすごい速さでペンを走らせた。

今の気持ちを持続させるために、そしてイメージを固めるために、

自分の言葉を綴っていた。

ある意味でこの時間が一番張り詰めた時間だった。

本戦に出れるかどうかは全くわからない。

しかし、本戦に出れることを心から信じて、各自が自分のできることを精一杯やる。

今までも何度も選手のサポートについたことはあったが、

これほどまでに充実した時間を送ったことはなかったように思う。






【時は来た】

そして、ついにそのときは来た。

マスコミの関係者が、情報をリアルタイムで伝えてくれる。

そしてK−1の運営スタッフが、ついに

「新田選手、まだ(バンデージを)外さないでくださいっ!」

本戦参戦が決定した。

相手は、HAYATO選手と村浜選手の勝者であった。

HAYATO選手がダウンを奪い、

新田選手もHAYATO戦に気持ちをつくりかけたそのとき、

村浜選手のハイキックが、全てをリセットする結果となった。

「村浜選手、どうしたらいいですかね?」という新田選手に、

ニコラスさんは、的確な作戦を伝える。

そして迎えた準決勝。

予定通り、リーチを生かしたミドルキックとテンカオ(膝蹴り)でボディーを効かせ、

村浜選手の素早い動きを止めてから

ローキックでダウンを奪った。

新田選手は、ミドル級の中でも、かなり大柄なほうだ。

とくにテレビで見ると、小さい選手に比べてスピードがないように見えるかもしれないが、そんなことはない。

実際目の前で見ると、攻めに転じたときのスピードと、底知れぬスタミナ、

そしていつの間にか自分のペースに相手を引き込む「術」の部分は圧倒的に優れている。

持っているポテンシャルを引き出せばどんな相手にも負けない能力を秘めた選手、

それが新田明臣である。

【NITTA!NITTA!NITTA!】

そして迎えた決勝戦。

思い切ってパンチを打ちにいった際、

小比類巻選手の見事な前蹴りでカウンターを取られてしまった。

10カウントがコールされたとき、ニコラスさんとともに思わずリング内に飛び込んでいった。

一番心配していた、顎は問題ない様子だった。

医学的にみて、思いっきり踏ん張って受けてしまっていたら危なかったが、

テレビカメラに向かって「大丈夫!大丈夫!」と繰り返していた。

そして優勝した小比類巻選手にいろいろ話していた。

「何を話してたんですか?」

控え室ででヒロトさんがたずねると、

「優勝したんだから、そんな暗い顔してないで、ちゃんと喜ばなきゃダメだぞ!」って言っていた。

自分は負けて悔しいはずなのに、

勝った選手のことを思いやっている、新田選手。

格闘技は勝った、負けたの世界であることは間違いないが、

勝ち負けを超えた人間的な魅力が彼には備わっている。


リザーブという、補欠の立場から、

本戦参戦、そして決勝の大舞台へ。

ずっと彼自身がイメージしてきたその通りの現実が、そこにはあった。

いろいろな運や偶然が重なり合った結果かもしれないが、

新田明臣の強い思いが現実を引き寄せてしまった、少なくとも私にはそう思えた。

移り変わりの激しい現代。

飛行機がビルにぶつかり、でっかい津波が一瞬で多くの命を奪い、マイケル・ジャクソンが被告人になる。

良いと信じていたものが、ダメになり、少し前まで考えられなかったことが次々と起こる世の中だ。

そんな時代に、新田選手は自分を信じ続けること、そして良いイメージを持ち続けることで、

自分の運命を切り開きながら生きている。



今回の大活躍で、初めてその存在を知った人も、

「新田明臣は強い格闘家だが、彼という人間はそれ以上の存在である」ことを知っておいてほしい。


そして、次の機会には彼の入場テーマに合わせて、とにかく踊りまくる。

これが正しい新田ワールドの楽しみ方だ。。


ほかの誰でもない、新田明臣をサポートできることは、

私の格闘技ドクターとしての、いや強くありたいと願う男としての誇りである。






写真と文:格闘クリニックDr.F


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