VALE TUDO、TOPA TUDO
〜あつしさんのブラジル格闘滞在記 VOL.1 日本編〜
     井上 敦
valetopa2004@yahoo.co.jp

5.9  プロローグ
5.10 迷わず行けよ、行けばわかるさ
5.11 地球の迷い方?
5.12 鴨川紀行
5.13 アメックスの謎
5.14 VALE TUDO、TOPA TUDO
5.15 M.A.X.マックス! マックス! 
5.17 白金
5.18 六本木
5.20 スーパードクターF
5.21 大塚
5.22 K-1 ROMANEX
5.26 いざブラジル















5月9日 プロローグ

「大変なことを引き受けてしまった。」
 冷静になったときに頭をよぎったのはこの言葉であった。この自分の書く文章が、格式高い「格闘クリニック」の一つのコーナーになるというのである。自分で作ったHP上であれば、好き勝手に書いても責任は自分で負えば問題はない。しかし今回のケースでは、何か問題があればHPの責任者である二重作先生の顔を潰してしまう。また日記を書くといっても、「息を吸うのもめんどくさい」と本間聡ばりに発言(元ネタは北斗の拳のジャバ.ザ.ハット似の悪党の台詞。最後はケンシロウに息を吸えなくなる秘孔を突かれて死んでしまう。)している自分に日記など書けるのだろか?しかし、こういう場を与えてもらえる機会もそうは多くないだろう。ブラジルに行くのも今回が最後の可能性もある。自分のしたことを書き留めておくのもよいのではないか。少しでも多くの人が格闘技及びブラジル、そして世界に興味を持ってくれれば書く意義もあろう。頑張って書き続けるつもりであるが、もし力尽き途中で終わってもご容赦いただきたい。
 簡単な自己紹介は自己プロフィールを参照していただきたい。二重作先生には、3年ほど前からお世話になっている。いつも怪我をすると迷惑も考えずに電話するのだが、嫌な顔一つせず(まあ電話なので顔は見えないんだけど)適切なアドバイスをもらっている。昨年は結構大きい怪我をしたが、その後のリハビリはずっと面倒を見てもらっている。お世辞ではなく二重作先生がいなければ、自分の競技者としての復帰はなかったと思う。
 これから書かれるであろう日記には、自分のブラジルでの生活を記すつもりである。まあ格闘クリニックに掲載されるからには、格闘技中心の日記になると思う。その中でブラジルでの文化とかにも触れられればと思う。とりあえず、文章は書けば書くほど上手になるらしいので、ブラジル行くまでは文章を書く練習の意味を兼ねて日本での日記を書く(つもり)。

ブラジル出発まで後17日。


5月10日 迷わず行けよ、行けばわかるさ!

 真足関十段の異名を持つ花井選手から、ここにメールするといろいろ紹介してくれると渡されたKさんにメールをした返事がきた。実はまだブラジルでの練習場所を決めていない。純粋なブラジリアン柔術の道場ならば情報もかなりあるのだが、総合の道場はBTT(ブラジリアントップチーム)ぐらいしか情報がない。そこで、そのKさんという見ず知らずの方にメールをしたのであった。
 Kさんは非常に親切な方で、グレイシーバッハにアメリカ人の友人がいるから紹介する旨のメールが来た。しかもアパートも用意してくれるらしい。グレイシーバッハは柔術では名門であり、最近はVT(バーリトゥード)チームを結成し、k−1のジェロム.レ.バンナ選手も練習に来ているという道場である。場所もリオでは高級住宅地にあり治安もいい。バッハも一つの候補地と考えていたため、今すぐ飛びつきたい提案ではある。しかし困ったことがある。俺のチケットはサンパウロまでなのだ。別にリオ行きにしても大して変更料はかからないのだが。ここで紹介を受けてしまいバッハ地区に住んでしまうと、簡単に他の道場には移れないであろう。
 今回は期間が長いので、できれば2都市に滞在しようと思っていた。またリオは一人で長期生活するのは結構きついのではないかと俺は感じていた。サンパウロなら日系人街がありいろいろ便利だろう。リオには日本語は通じるところはほとんどなく、英語も通じるか怪しいのだ。別に語学留学に来たわけではないし、練習以外で疲れてしまうと練習に専念できなくなるし。海外で独りで過ごし精神力を鍛えるなどという年齢はとっくに過ぎている。そういうことで提案を断ってしまった。まあ行けばなんとかなるだろう。実際に自分で見学しないと、道場の良し悪しというか自分にあった道場かは分からない。今サンパウロで考えているのがUFCのチャンピオンであるビトー.ベウフォートのところ。HPを見たのだが、全部ポルトガル語。まあ住所は載っていたのでいきなり押しかけてみようかなと考えている。

ブラジル出発まで後16日


5月11日 地球の迷い方?

 地球の歩き方というガイドブックを買った。まあ定番中の定番。初めてブラジルに行った時にあまり使わなかったため、前回は買わなかった。今回も不要かと思ったが、サンパウロは初めてだし一応不安なので購入することに。
 ぱらぱら眺めたが、圧倒的に情報量が不足している。必要な情報かどうかは別として、なんとこの本にはアサイ(飲み物)が紹介されていないのである。アサイに関しては、数々のブラジル柔術修行者が説明しているので説明は省くが、ブラジルに行けば一度は飲むべきものであると個人的には思う。俺をはじめとする多くの柔術家がはまってしまったのだから。リオのジューススタンドでは必ずおいてあるし、ポピュラーな飲み物だと思うのだがなぜとりあげてないのだろう?一度ブラジルに行った方でアサイを飲み忘れた方は、もう一度ブラジルにアサイを飲みに行こう!知らないほうが幸せということもあるが、これを読んだあなたはもうアサイを知ってしまったのだ。ブラジルまで行くのが面倒だという方には朗報が!同じ味かは分からないが日本でもフルッタフルッタという店で飲めるらしいので、興味を持った方はどうぞ。
 ちょっと問題だと思った記述が、リオのディスコであるHELPの説明。「リオの若者と友達になれる機会もあるので、思い切って踊りに行ってみよう。」実はHELPにいるブラジル人女性はほぼ全員が娼婦である。この情報を載せた人は、それを知っているのだろうか。このガイドブックを信じてHELPに友達を作りに行き、ナンパに成功してブラジル人姉ちゃんといざ、みたいな状況になった時に金を請求されたらどう責任をとってくれるのだろうか?これも自己責任ですかね?いっそのこと、値段の相場とか全てを説明するべきではないだろうか?別に売春を勧めているわけではない。ただ、こういう中途半端な記述のために、好奇心を持った旅行者が痛い目に会うことを憂うためである。

ブラジル出発まで後15日


5月12日 鴨川紀行

 とりあえず3日坊主にならずにすんだ。しかし、ネタがない。まあまだブラジル行っていないのでしょうがないよなと自分を慰める。でもここでネタがないといって辞める訳にはいかない。
 先日、高校の友人から一冊の本が届いた。「鴨川紀行」。なんとその友人が書いた本であった。驚くべきことに自費出版ではない。しかも彼は歯医者であり、およそそういう文学とは無縁と思われていたためさらに驚きだ。読んでみると、これがまた面白い。随筆なのだが、たとえ話とかが微妙に(ここが大切)心をくすぐり、軽快なタッチにぐいぐい吸い込まれてしまうのである。興味を覚えた人は買うなり、立ち読みなりしてみてはいかがだろうか?「鴨川紀行 石倉聡著 文芸社」。今ネットでみたらアマゾンで出てきたので、ネットでも購入可能だ。石倉、宣伝しといたぞ!とブラジルに関係ない宣伝で終わってしまった。ただこの本を読んで文章を書くことに自分も触発されたので、滞在記を続けていく気になったのでご勘弁を。

ブラジル出発まで後14日


5月13日 アメックスの謎

 今回は期間が長いので海外保険がついているクレジットカードを作ることにした。俺は今まで海外は結構行っているのだが、馬鹿なことにこのクレジットカードを保険として利用するという発想が全くなかった。いちいち行くたびに空港で保険に加入していたのである。ほんとに無駄遣いをしてしまった。無知は罪だ。
 今回はセゾンアメックスのカードを作ることにした。年会費が3150円と比較的安いのに、90日までの海外保険もつくのだ。しかも航空券をセゾンアメックスのカードで買わなくても、海外に行った瞬間に自動的に保険に入ってるわけだからお得である。不思議なのが普通のアメックスだと、カードでチケットを買わないと保険がつかないのである。年会費はセゾンアメックスよりも高いのにどうしてなのだろう?

ブラジル出発まで後13日


5月14日 VALE TUDO、TOPA TUDO

 長く頭を悩まされていたこの滞在記の題名がようやく決まった。
 「VALE TUDO」は多くの方が知っているであろうが、ポルトガル語で「何でもあり。全てが有効。」一つの競技としても成り立っている。基本的にはほとんど反則がない総合格闘技の総称だ。今は知らないが、昔のブラジルでのVALE TUDOは素手でやってたし、初期のUFCでもホイスとか髪の毛引っ張てたような気もする。今のプライド、パンクラス、修斗、UFCも一つのVALE TUDOの形態であるといえる。
 「TOPA TUDO」は自分の友人が、そのまた友人から聞いた言葉であるため正確な意味は分からない。「誰でもあり。」とかいう意味らしい。ブラジルで娼婦が「TOPA TUDO」と言うと回りは爆笑するらしい。(ちなみに友人の友人は女性)。その他にも「挑戦して来い」とかいう意味もあるらしい。別に喧嘩を売っているわけではないので、「誰の挑戦でも受けます!」などと言って訳の分からない挑戦は受けるつもりはないが。
 でも題名考えるのはほんとに難しい。いろいろな案があったけど、あまり深く考えずこの題名にしてしまった。なんかゴロもいいし、意味もいけてると思うのだが、いかがなものであろうか?

ブラジル出発まで後12日
 


5月15日 M.A.X.マックス!マックス!

 COPA AXISという大会を見に行った。ストライプルからも選手が何人か出ているため、その応援のためだ。また今回はスーパーファイトと称してブラジル人の黒帯の試合もある。マルセロ.ガルシアというアブダビコンバットのチャンピオンと、フェルナンド.テレレという柔術の世界チャンピオンの試合である。この二人の階級は俺と同じ階級であり(73KG〜78.9KG)、観戦料払っても見る価値のある試合であるような気もする。実際にアマチュアの大会なのに観戦料が千円かかっていた。
 HP上では試合が11時から7時までとなっており、白帯から順番に進んでいくため2時ぐらいに行けば紫帯には充分間に合うと思い、間に合うように出かけた。しかしその考えは甘かった。道路が混んでいたこともあり到着したのは3時頃であったが、まだ青帯の試合も始まっていなかったのである。段取りの悪さとかがブラジリアンテイストの大会であると微笑ましくも思ったが、もし自分が選手として出場していたらぶち切れていたであろう。
 紫帯の試合は6時半頃に終わり、応援していた中山さんが優勝した。黒帯の試合まではまだまだあるが、この後に格闘クリニックの練習仲間がブラジル壮行会をしてくれるため、黒帯の試合はあきらめて会場を後にした。
 改めて感じたことであるが、柔術は見る競技ではない。やる競技だ!やった方が間違いなく100万倍面白いと断言する。競技者でないのに柔術を見て面白さを感じる人の感性は相当すごいと思う。他のスポーツ、格闘技でも見る側とやる側でおもしろさに差がある競技もたくさんあると思うが、柔術は間違いなく差がある競技のうちの一つであろう。ただやっている人間はあまりそんなことを考えないため、たまに過ちを犯してしまう。柔術を全く知らない友人、家族、恋人(にしたい人)等を試合に呼んでしまうのである。俺自身もそういう過ちを犯してしまった。昔の会社の同期などは俺の試合までの待ち時間に体育館の地下で卓球をしていて、俺の試合が始まったことに気づかずに試合を全く見なかったこともある。また柔術の会場が浅草でよくやるため、待ち時間に皆で浅草寺に行き、そのまま一杯やって戻ってきたら俺の試合は終わっていたなど。結局自分の知り合い以外が試合をしていると、感情移入ができないため相当退屈らしい。確かにルールも分かりづらく、痛みもw)伝わりづらいし、技術もやっていない人には分かりづらいのでしょうがない。俺自身も、有名選手を見ながら技を研究する時と、自分の知り合いが出る時以外は試合を見るのは苦痛であるのだから。だから黒帯の試合を見れなかったことにはなんの残念さもない。仮に今回黒帯の試合を見たとしても、プライドで小川直也と一緒に「ハッスル!ハッスル!」したときの興奮は味わえないであろう。

 格クリの壮行会は、カブキさんの店に。カブキさんは昔、グレート.カブキとして一世を風靡した名レスラーである。料理も上手く値段も手ごろでかなり気に入った。ブラジル行ってしまうと当分行けないのが残念である。キックボクサーの新田選手など普段会えないような人とも話しができ楽しかった。特に新田さんのキックのジムの「バンゲリング.ベイ」の名前の由来を聞いたのだがあまりに面白すぎる。この辺の話はそのうちに、格闘クリニックの新田選手のコラムで明かされると思うのでお楽しみに。
 で、最後はいつもお世話になっているニーハオことMAX宮沢さんの締めの音頭で解散。
 「M.A.X.マックス!マックス!」
(MとAの時はYMCAのMとAのポーズ。Xはバッテンのポーズ。マックスの時は腰を振りながらハッスルのポーズで。)

ブラジル出発まで後11日


5月17日 白金

 最初に断っておくが、今回より滞在記を毎日という形式ではなく気の向いたときに書く形式に変更する。毎日書くのはそんなに大変ではないのだが、なんかネタがない時とかに書くと滞在記のための滞在記となってしまい、書いてもしょうがないと思ったので。目的と手段が入れ替わってしまうのを避けるためであり、ご了承願いたい。今週は日本での練習を中心に書こうと考えている。本来なら道場の写真とかを載せたかったのであるが、デジカメが壊れてしまいアップできない。買ってから1年以内なのに2度目の故障なので、新品と交換してもらうように掛け合ったのだが全く駄目の一点張りで話にならない。ブラジルの写真が一枚もないとしゃれにならないので、来週の出発までには必ず直すということで合意した。なんとかブラジルには間に合う予定である。というかそうならないと困る。間に合わなかったら、メーカー名公表して不買運動でもやろうかな。

 高級住宅地。白金マダム。大方の人は白金に持つイメージは、格闘技とは縁もゆかりもない高級なイメージだろう。今年の3月から白金にある「世界のTK」こと高坂剛さんが主催しているG−スクエアというジムに、出稽古に月曜と水曜の週二回ほど通わさせていただいている。練習時間は3時から。会社に勤務していた時ならまず通えない時間だ。この道場で練習できることは自分にとっては相当にありがたいことであり、それだけでも会社をやめた価値があるといったらいいすぎであろうか?だがなんといってもここには日本のトップクラスのファイター達が練習に来ているのである。どういう人が来ているかは多すぎて名前を挙げることはできないが、TVで放映されているような選手とかも団体を問わずに練習に来ている。彼らの練習を見るだけでも勉強になるし、実際に肌を合わせてその強さを体感することもできるのである。本来なら練習した感想を書くべきであろうが、おこがましくてとても書けない。
 ここでの練習はスパーリングのみ。時間は1R5分。インターバル30秒で12本やる。選手は各自の体力に合わせて自分がやりたい時に相手を見つけてスパーをする。スパーの形態もお互いの合意でいろいろ変わる。立ちの打撃からパウンド(グランドでのパンチ)ありの寝技までや、立ちからのグラップリング(組み技の意)、寝技だけ、打撃だけ等。自分は大体全部ありでやることが多い。毎回バラされて(ニーハオ曰くバラバラにされるの略、つまりやられまくる)いるが、ブラジルから戻ったらもう少し何とかできるようになりたいものだ。

ブラジル出発まで後9日。


5月18日 六本木

 午前中の六本木は夜とは全く違う。なのに六本木で練習していると言うと、たくさん遊べていいねえなどと、とんちんかんなコメントをよくもらう。そんな六本木交差点のすぐ近くにあるBODY PLANTというジムで火曜と金曜は出稽古させていただいている。このBODY PLANTは面白いジムで、自分が通う総合格闘技以外にも、空手、カポエイラ、ジークンドー、柔術等の各種格闘技が曜日ごとにレッスンがあり格闘技コンプレックスといえる。日本では始めての形態ではないだろうか?
 ここの先生はニーハオことMAX宮沢選手。先生といっても女の子以外の人間に教えているところを見たことがない。ミットは持ってくれるのだが、ミット練習の最中にローキックを本気で打たせておいて、予告もなく膝ブロックをして俺の足首を壊したりする。それでにやにやしているから困ったもんだ。
 火、金の常連メンバーは宮沢選手と自分の他は、「リアル格闘エリート」こと小野瀬哲也選手。パンクランスランカーのサンビスト長谷川秀彦選手。デモリッション2連勝中のゴリこと白井祐矢選手。外資系証券会社エリートであり、昔はスタン.ザ.マンのスパーリングパートナーを勤めていたルークさん。同じく外資系証券会社エリートの柔術家ニールさん。その他にも土地柄か外国人の人達が入れ替わり立ち替わりでやって来る。また彼らは皆日本語がとても上手い。日本で働いているから当たり前だと思う人もいるかもしれない。だが前にいた会社の外国人の中には2年も日本にいるのに日本語が全くできない人もいて、英語でメールを送ってきていた。日本語は難しいと思うが、それを使いこなして日本人とコミュニケーションを取れる彼らはうらやましい。ブラジルでは言葉を覚えるには期間が短いが、今回はできる範囲でポルトガル語を覚えるつもりである。それによって生活にも幅が出るであろう。
 練習時間は朝の11時から1時過ぎまでだ。ここも会社を辞めないと来れなかった。まずは寝技のライトスパーから始まる。ライトスパーというのは本気を出さずに、技を受けあいながら動きを確認するようなスパーだ。あくまでウォーミングアップのためである。だがこのライトスパーをやるのはなかなか難しい。なぜなら外国人(ニールさん、ルークさんを除く)の練習生の方達は、1分を過ぎるとだんだん熱くなってきて全くライトではなくw)、むしろ本気というぐらいの力で攻めてくるのである。しかも彼らは皆100KG以上あるのである。今日などは三角絞めの体勢になったら「FUCK!」とか叫んで、恐ろしい力で抵抗をしてきた。俺もこれ外したら殺されるんではないかと思い、つい本気で絞めつけてしまった。ほんとに悪循環である。朝から怪我はしたくないのに。
 まあそういうライトスパー(?)で体をほぐし、通常の寝技のスパーを数本やり、立ち技に入る。基本的にはテイクダウンして寝技までやることになっているが、なんか打撃の攻防が中心の練習になっている。畳で投げられると痛いからなのだろうか?自分の中では、白金の日が総合、六本木の日は打撃の練習をを中心と考えているのでちょうどいい具合だ。外国の人達は背も高くリーチも長い。俺は今まではそう自分より背の高い人と練習したことがなかったので、そういう意味でもいい練習だ。普段なら余裕で届くパンチや蹴りが届かないため、自分から踏み込むくせがだいぶついてきた。試合では自分よりでかい人とやる場合もあるので、練習の段階でこういう経験をしておくと本番で面食らわなくてすむ。
 スパーが終わると、各自自主練。ミットをやったり、技研をしたり。ここの道場がいいのは少人数のため、次に試合がある選手に合わせた練習を皆が協力して行ってくれることだ。今日は来週試合の長谷川選手のための宮沢さんがそれようのミット練習をしていた。気が向いたときは六本木界隈を走りに行く。中にはタバコをふかしながら走っている選手もいる。怪しい集団である。

ブラジル出発まで後8日。


5月20日 スーパードクターF

 木曜日は週の真ん中であり疲れがたまってくるため、比較的軽めの練習の日である。いやそんなに軽くもない。息が上がったり無茶な力を使ったりしないだけで、実際は結構疲れる。上手くは説明できないが、神経が疲れて肉体的には疲れないといった感じといえば分かるであろうか?いや、実際には肉体も普段意識しないインナーマッスルを使うから結構疲れるかもしれない。何だか上手く説明できない。つまり、そういうトレーニングをしているのである。実はこの日は、二重作先生の下でリハビリ及びメディカルトレーニングの日なのだ。
 どういうことをやっているかは、このHPのメディカルトレーニングを見ていただきたい。写真を見ると不思議なトレーニングをしている様子が見てとれると思う。興味のある人はjapan@kakukuri.comまで御一報を。

 自分はここで毎週、肘のリハビリをしている。それを終えるとバランストレーニングだ。ここでは二重作先生も一緒にトレーニング(というか治療の一環なのでしょうか?)に参加する。自分は今まで怪我を数多くしいろいろな病院に通った。その体験を踏まえて、ここの感想を述べたいと思う。
 基本的に人間はリスク回避者である。自分の行動を考えれば分かると思うが、責任を負わない、冒険をしないというのが大多数の人間である。だがこういう人間のリスク回避的な性質のため、本当に欲しい回答が得られない場合が多いのである。過去に怪我をして病院に行った場合の回答は一つしかない。なぜならそれがもっとも患者をより悪化させない回答であるからだ。
「安静にしてなさい!」
安静にしていたくない(できない)から、病院に行くのではないんですか?試合が近いから何とかして欲しいのに、その答えはないだろう。自分の知り合いもぎっくり腰になった時に、医者に言われた言葉は、
「体を動かさないように家で寝てなさい!」
ほんとに寝言は寝てから言ってほしい。普通に仕事しているような人間であれば、会社などそう簡単に休めない。確かに安静にしているのが一番体にはいいのであろうが、人にはそれぞれの事情があるのではないだろうか。個人個人の事情を聴いた上で、その人にあった治療法を教えるのが医者のあるべき姿ではないだろうか。
 二重作先生の場合はご自身も空手をやっている(しかも強い!!)ために、選手の立場にたっての治療法および助言をしてくれるのである。今でも印象深いのが、昔に大きい試合の前に怪我したときのことである。その時に言われた言葉が、
「井上さんがこの試合をどう考えているかです。もしこれが最後の試合だと考えているのなら痛み止めでもなんでも打ちます。試合に向けてできる限りのことをします。ただ、今回の試合がそこまでの位置づけでないのならば休んでください。」
自分はこの言葉を聞いて、初めて本当に信頼できる医者に会ったと感じた。今でも肘は完治していないが、それでも普通に練習はしているし、肘に負担をかけないような動きを一緒に考えてくださっている。ブラジル行くにあたりここでリハビリできないのが非常に不安であるが、何かあった時はどうしましょうか、二重作先生?

 ところで勤務中に白衣を着ていない医者っているのだろうか?白衣を着るのは法律で義務付けられているのだろうか?この滞在記が掲載されているのであれば、法律的に義務付けられていないのだろう。実はここだけの話なのだが、二重作先生は勤務中であってもあまり白衣を着ないのである!!その代わりに、胸に極真という二文字の入った白いTシャツを着ているのである。いや、もちろん初めての患者さんの場合には白衣を着る。俺に柔術を教えてくれといって二人で寝技を練習し汗だくになったのを隠すようにして、白衣を着てさわやかな笑顔で診察しているのである。今後始めて診察を受けるかたは一言言ってほしい。「極真Tシャツのままでかまいません」と。

ブラジル出発まで後6日。 


5月21日 大塚

 自分の所属道場の紹介が最後になってしまった。ストライプル。ストライク(打撃)とグラップル(組み技)をあわせた造語である。作家の夢枕獏氏が名づけたらしい。設立者である平直行先生は人気漫画「グラップラーバキ」のモデルでもある。一度その話を友人にしたら、「東京ドームの地下闘技場は本当にあるの?」と聞かれた。
 道場はゴールドジムという、スポーツクラブと呼ぶにはハードすぎるジムの中に常設されている。大塚が本部であり、行徳、中野、大森、南砂町、幕張、神戸に支部がある。自分は大塚を中心に行くが、気が向いたときには他の支部に行くこともある。
 練習時間は平日は夜の7時30分から9時まで。ここでの練習は基本的には道衣をきる。ブラジリアン柔術が道衣を着用する競技だからだ。もちろん裸でやってもかまわない。裸といっても下はもちろん履くし、上も練習ではTシャツなどを着ているので、変な勘違いをしないように。最初にテクニックを2,3個習い、そのあと1時間は寝技のスパーリングをごろごろとやっている。道衣を着るとけっこう体格差があっても相手をコントロールすることができる。そのため体力で勝とうとしても技の上手い人にはやられてしまう。俺も20Kぐらい軽い人にもやられてしまう。力のないものであっても柔術をやれば強くなるというのは嘘ではない。もちろん同じ技の持ち主なら力があるほうが強いため、勝つためにはパワーも重要である。
 練習は非常に楽である。個人個人の主体性に全て任されているからである。技だけ習って帰ってもいいし、スパーだけやってもいい。腕立てとかの補強もやりたい人がやるだけ。休憩中は寝そべっててもいい。練習中に水を飲むのも自由だし、お菓子を食べてもいい。がさすがにそんな人はいない。常識の範囲で許されることは何をやってもかまわないのだ。厳しいしごき、上下関係は一切なし。平さんの人柄が道場に反映されている。逆に武道性とか体育会系の厳しさを求めている人にはつらい道場である。
 ここには長く通っているため、友人も数多くいる。年齢も10代から50代までと幅広く、女性もいるし、職業も様々である。練習後にサウナでそういう友人たちと話をするのも非常に楽しい。だいたいサウナのある道場なんて、そうめったにあったものではない。練習し、さらにサウナで汗を流し、ビールで水分補給。こんな贅沢はそうない。家でごろごろとポテトチップスを食べながらドラクエをするのもいいだろう。だが同じゲームであるならば、ブラジリアン柔術をしたほうが楽しいことは間違いない。柔術にはまりすぎて人生が変わっても責任は持たないが。

ブラジル出発まで後5日。 


5月22日 K-1 ROMANEX

 K-1主催の総合格闘技の大会が開催された。ROMANEXというなんだかよく分からない大会名だ。あまりいい名前とは思えないが、そのうち慣れれば定着するのだろう。俺はK-1 MMAというシンプル名前で十分いいと思う。

須藤元気選手とホイラー.グレイシーの対戦。今大会で一番注目していたカードだ。予想では元気君が寝技に付き合わずに打撃で攻めるも粘られ判定勝ち。もちろん元気君も寝技は相当強い。だがホイラーは柔術はもちろん裸の寝技も伝説的に強いため、寝技に付き合うのは相当危険だ。試合は俺の予想に反し、元気君がスタンドでの膝蹴りでダメージを与えグランドでのパウンドでKO勝ち。強い。総合での戦い方を知っているし、チャンスを逃さない集中力もすごい。もう柔術の技術だけで勝てる時代は完全に終わった。心のどこかではホイラーなら何とかなるんでは、と思っていた柔術家は俺の他にもいたと思う。幻想は完全に崩壊した。今後ヒクソンが試合を誰かとやり、もし負けるとしたらこんな感じで負けるんだろうと思った。でもヒクソンなら...などとホイラーがあれだけ完全に負けたのにまだそんなことを考えている自分がいる。

中邑選手とイグナショフの試合はびっくりした。試合途中で前腕チョークというか嫌がらせのようにのどに手を押し付けるだけで、興奮している観客および実況の人達に対してだ。こんなの決まるわけないだろうと思っていたら、それでイグナショフが無抵抗でタップしてしまい、またびっくりしてしまった。不思議な試合だ。なんだか前腕チョークで決まると、勝った選手を褒めるというよりも、負けた選手が情けないという感想しか持てなくなってしまう。アマチュアの試合でも決まらないのに、なぜかプロの試合で決まる不思議な技が前腕チョークである。

サップと藤田選手の試合は、藤田選手のクレバーな試合運びに感心した。藤田選手は当然強いのであるが、サップはだんだん弱くなっていく。テレビに出て練習していないからだという意見もあろう。だが逆に練習してるから弱くなっている気がする。変に技を覚えてしまい格闘技の攻防をしようとしているため、セオリー通りに攻めてきて相手にとっても反応がしやすいのである。最初のころのように、がむしゃらに何も考えずに突進して殴っているころのほうが強かった。初心者のほうがある意味強く、練習すると弱くなる。格闘技のパラドックスである。


ブラジル出発まで後4日


5月26日 いざブラジル

 いよいよ出発の日だ。最初に書いておくが今回の滞在期間は2〜3ヶ月の予定である。一番最初の滞在記に書いたつもりが、すっかり書き忘れていた。7月終わりのムンジアルは出場する。その後8月終わりに30歳以上の部の世界大会があるので、それに出てから帰国しようかと考えている。だが8月にもしかしたら日本の総合のリングで試合があるかもしれないので、その場合はそれに合わせて帰国するつもりだ。ブラジリアン柔術を極めるために行くのでなく、あくまで総合格闘技のための修行だからだ。

 確かに日本でまだまだやることもたくさんある。あえてブラジルに行く意味も、俺の場合はそんなにないのかもしれない。総合格闘技の練習という面だけとったらそうだろう。だがそれだけではないものが、ブラジルにはある。別にブラジルだけではないのだが、やはり文化が違う国にいるとそれだけで刺激を受ける。それは先進国に限ったことではない。日本と似ているようであっても、細かくはすべてが違うのだ。そういうものに触れて、自分の幅が広がればいい。だから俺は旅が好きなのだ。(今回は旅ではないが。)

 プレッシャーも正直言えばある。仕事を辞めてブラジルまで行って、強くならない場合だ。(別にブラジル行きだけが仕事を辞めた原因ではない。)昔ならともかく、30過ぎてキャリアもそこそこある人間が急に強くはならないであろう。しかも以前のように技術の格差も日本とブラジルとで小さくなっている。だが一回一回集中して練習していけば、必ず少しずつ進歩するだろう。これは日本での練習でも同じだ。だが最近の俺の場合はつい妥協してしまう。時間がありあまっているためなのだろうか。仕事しているときのほうが一回の密度は濃かった。普段の練習の一回一回を真剣にできる人間が、やはり強くなっていくはずだ。反省。絶対に強くなり、日本の総合格闘技の試合で勝つ。ここまで書いてしまったので、これをいい意味でのプレッシャーと考え、ブラジルでの練習に全力を尽くしていく。

 日本編はこれで終わりである。いよいよ次からはブラジル編が始まる。俺自身楽しみでもあり、怖くもある。興奮してしまいつい朝になってしまった。実は夜中の1時過ぎからパッキングを始めたため、朝方まで準備がかかってしまっただけなのだが。

 ここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございます。ブラジル編も引き続き読んでいただければ幸いです。


 本日ブラジル出発。


〈著者 プロフィール〉

井上 敦(いのうえ あつし) ストライプル所属 182cm 80kg ブラジリアン柔術紫帯

1971年3月大阪府に生まれる。その後は千葉で育つ。小学校の時に兄の影響でプロレスを見てはまる。この時はアントニオ猪木の大ファンで、兄弟喧嘩でプロレス技を身に着ける。しかし今には全く役立ってない。その後タイガーマスクに憧れるが、タイガーマスク引退とともに伝説の旧UWFに観戦場を移す。旧UWF解散後は前田日明に心酔。そして新生UWFへと、まさに当時の格闘技オタクのど真ん中を歩く。大学時にはプロレス研究会に在籍しつつ、各種道場への出稽古を重ねる。卒業後は公認会計士の資格を取ろうと思い就職浪人。一度目の受験に失敗し、ストレス解消のために正道会館に入門(1994年)。当時は柔術はなく空手であった。4級を取得。またグローブ空手の大会やアマチュアSBにも出場。時間はありあまっていたため、アジア放浪を繰り返す。この時にはタイのムエタイジムで一ヶ月ほどムエタイを修行。1996年に平直行氏が正道会館内に柔術クラスを開設。UFC大会のグレイシーの活躍を見て柔術に憧れていたため即入門。1998年の夏にはK−1BUSHIDOの前座で総合の試合をする(結果は引き分け)。監査試験も合格し会計士として監査法人に勤務し、仕事と格闘技の両立を目指すが後に挫折。1999年に3週間のブラジル柔術修行。同年の柔術全日本選手権で準優勝し青帯に昇格。2003年の2月にはデモリッションに出場(結果は負け)。同年3月にはアールというプロレス団体でプロレスデビュー。(現在は半引退。)同年5月のコパパレストラで準優勝し紫帯に昇格。7月には2度目のブラジル修行を行い、世界大会出場(一回戦敗退)。12月に心機一転し監査法人を退職し生活の中心を格闘技におく。今後の当面の目標はプロレスファンであったためパンクラスのリングに上がること。趣味は海外放浪と映画鑑賞。最近観た映画でお勧めは「ドッグヴィル」。

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